新日本すし紀行
第19回 加賀市の柿の葉ずし

「柿の葉ずしなんて奈良県の郷土料理じゃないの?」
私が今回の取材地候補を並べた時、「柿の葉ずし」の名前にひと言いいたい人が声を上げた。たしかにそうだが、すしを小さく握って葉っぱに包むってのは全国どこででもやることで、柿の葉っぱに包むのだって、そんなにめずらしいことではない。
加賀地方でも、平野部一帯で作られる。柿の木はたいていの家の庭先にあるから、葉っぱはいつでも手に入る。魚は目の前の日本海から、タイやサバやシイラなど、季節ごとに美味しい物が運ばれてくる。塩サバを握る奈良の柿の葉ずしとは違って、魚が新鮮なことは間違いなさそうだ。
ガイドブックによると、季節の魚と桜エビ、そして青く着色した紺海苔(地元では「アオモ=青藻」と呼ぶ)に黒ゴマ、というのがスタンダードである。魚をすし飯の下にするのが本来の作り方ともいわれるが、魚をすし飯の下に敷くのは、幕府からの贅沢禁止令があって、その監視から逃れるためだ、という説と、そこまで歴史が古いすしではない、とする説の2説がある。本当のところは、わからない。


柿の葉ずしを作ってくださる…、いや作ってくださる方をご紹介くださるのが、JA加賀本店の中野陽一さん。何とかしてこのすしの味を全国に発信したいと、日夜、努力しておられる方だ。この日はJA加賀本店に女性部の皆さんが会館「にこにこらんど」に集まる、とのことで、中野さんにお願いして、筆者らの見学を許してもらった。
この日、女性部の皆さんがここに集まっておられるのは、その翌日からがJA加賀の秋のイベント「農業まつり」だからで、その会場で売るための柿の葉ずしを作るためである。女性部長の濱澤貴子さんによれば、マスのすしとタイのすしを作るのだという。柿の葉は6月から7月ごろにとれるものが緑が濃く、香りも高いといわれており、この時期に大量に収穫したものを冷凍し、1年分を保存する家庭もある。今回のもそうで、これを出してきて、ザッと水拭きし、酢でも洗う。取り出したら葉の上下を切る。これは葉脈が固すぎて、ほかのすしを傷つけないように、との気遣いからである。
作り方は、柿の葉の上に甘いすしご飯を載せる。その上に載せる具は、マス(または笹小ダイ)、酢ショウガ、桜エビ、アオモ、黒ゴマ。これを押し箱に入れて押す。箱の中は1段並べたら、その上にまた柿の葉ずしを並べ…、という具合に数段重ねる。押しをかけてすぐにでも食べられるが、1晩置くと柿の葉のにおいがすしにまわり、すしの味がいっそうよくなる。
通常はこんなにも柿の葉が並ぶことはないが、この日はイベントごと用である。机の上に柿の葉がずらりと並んでいる。子供たちがいると、「〇〇ちゃんは錦糸玉子の係よ」「〇〇ちゃんはゴマね」と、それぞれに具を並べる役割を与える。こうして、家族そろってすし作りに参加することができるわけで、その意味では、家族の存在、家庭のありがたさをわからせる、いい機会であるともいえる。しかし現実は、このすしを作る機会は減った。子供たちは塾や部活動で忙しい。ある人がいう。「ひとりで作ることになって、面倒だから」だそうである。たしかにこれだけの具材を準備することは手間入りである。
そのなつかしい様子が、ここでは見られた。むろん参加者はJA加賀の女性部の方々であるが、「ここ、ゴマを忘れてるわよ」「だれよ、アオモをこんなにたくさん盛ったのは?」などと、さながら子供相手のような発言が飛び交っている。その場はにぎやかなものだ。



柿の葉ずしを全世界に売り込みたい、というのが中野さんは、その志のひとつとして、各家庭でいろいろあった柿の葉ずしの作り方を統一して、レシピをひとつにまとめた。これは加賀市の旅館の調理師会の力を借りたもの。今のような「スタンダードな」すしが生まれたのはこのような背景があったわけであるが、逆にいえば、JA加賀の女性部が作るのとは別の作り方にこだわっている人もいる。
総務部長の上出眞弘さんは「うちの奥さんのすしは、ご飯の形は長方形ででかいです。具も、クジラを使ってるんですよ」という。「押し箱の中はご飯がぎゅうぎゅう詰めになっている」そうだ。でもそのために、すしの数は食べられない。すしの数は「何枚食べた」と表現するのだが、上出さんでもせいぜい食べて2~3個が限度である。その点、JA加賀のようなすしは、女性が食べても5~6枚はぺろりと食べてしまえる。
米が貴重だったころは、米自体がごちそうであった。このすしも同じで、具よりも米をたくさん載せた。ある家の娘が嫁いでいった家もそうであった。ところがたまたま娘の実家は米農家で、米がほかの家ほどごちそうではなかった。祭りの日に招かれてごちそうになりに行ったところ、娘は米がドーンと載ったすしを食べさせられている。「うちの娘には具を食べさせてくれないのか」と、親は泣いたという。かわいそうな昔の笑い話である。



JA加賀を後にした筆者は、その夜、隣町・小松に引っ越して行った高校時代の友人と会った。筆者が「実は今日、柿の葉ずしの取材でさぁ」と話を出すと、「そうそう、今、大変なんだ、あの柿の木」との返事。「今、僕らの町では、『自宅に柿の木がある家は切っちゃえ』っていうんだ」。
え? それは大変なことを聞いた。初耳だ。第一、これはすし愛好家としてはゆゆしき問題だ。「ど、どうしてそんなむごいことを?」と筆者。「秋深くなって、柿の実が大きくたわわに実ると、必ずヤツらがツメを立てて、やって来るんだ」という彼。筆者には映画で見たジェイソンのような怪人が想像に立った。
しかし、ヤツらとはクマ。かわいらしい外見とは正反対で、クマが柿の実をねらってふもとまで降りてきて、ときどき人間を襲ったりするという。柿の木を切れというお達しが出るわけである。
翌日、大盛況であったJA加賀の秋祭りに集まったお客さん。柿の葉ずしをおいしく食べ、また、世界に発信することは大変よいのだが、そこには思わぬ天敵がいたのである。

