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新日本すし紀行

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第20回 尾鷲市のこけらずし

尾鷲市のこけらずし(三重県)

 翌日に所用があるため、尾鷲に着いた。夜遅くのことで、駅前通りは誰もおらず、それがいっそう空腹感を感じさせた。「たしかこのあたりにすし屋があるはずだが…」と少し歩くと、その店はあった。だが、店には誰もいない。大将を呼び出して、「名物」とあったこけらずしを作ってもらった。大将は、このすしの名前の由来は、こけら落としの席に出されていたことやこけらぶきの屋根のように1枚1枚ずらし重ねて具材を置いたことである、などと話してくれた。

 こけらずしは型に入れて押し固めるもので、東紀州、とりわけ尾鷲市付近で、江戸時代から、祭りや人寄せ、祝いごと(棟上げ、命名、還暦、厄祝、結婚など)のとき、各家庭で作られた。切り分けて親戚、近所に配り、ともに祝い合う風習があり、1年中どこかで誰かがつくっているほどなじみ深い料理である。作りたてよりも一晩置いたほうが美味とされる。

 三重県の食民俗に詳しい大川吉崇氏の調査によると、こけらずしは三重県全域にみられるが、伊勢平野を中心にした北勢地域では1段が多いのに対し、紀伊半島の南部では3段、4段、5段と重ねるタイプだそうである。ここ尾鷲は東紀伊地方。よって、重ねる形式である。また、「さはち」と呼ばれる大皿に盛り付けられる。酒宴の床の間や配膳の間の中央に大皿(さはち)に盛り上げて、客人、また親類、縁者にも配られてふるまわれるそうだ。

すし屋で食べたこけらずしスーパーのこけらずし

 押し型は、米1升型、5合型、3合型などのサイズがある。2升半用の大きな押し型が使われるところもある。最近は伝統的な型に加えて、少人数に適用するように扱いやすい小型のものや、1人用、1段用の型も作られている。このように、こけらずしが発達したのは、東紀州が豊かな木材(主にひのき)の産地で、それを利用したすし型が発達したことによるのかもしれない。昨今は、独特のすし型を持っている者も少ない。その代用に弁当箱を使用することもある。また、こけらずしの押し型にはくさび止めする方法と重石を置く方法があるが、ここで使用されるのは重石を置く箱である。

 材料の具材は5種類の奇数にすることが多く、彩り豊かな仕上がりとする。5種類の中に1種は必ず魚を使い、主に酢の物にしたものである。魚にはサバ、サンマ、アジなど、その時の旬の魚が使用される。季節の野菜はそのときどきによって、キュウリであったりゴボウであったりする。

 大川氏が調査で述べたが、尾鷲のこけらずしは重ねて作る。4段を重ねる人はその4段重ねのうち、1段目を「いちへら」、2段目を「ふたへら」、3段目を「みへら」、4段目を「よへら」と呼ぶ。ただ、今は「ふたへら重ね」、「みへら重ね」が一般的になった。

 このとき、間に敷く葉はヤマイチゴ(キイチゴ)やヤマミョウガ(ヤブミョウガ)などである。これに酢水をかけたもので仕切ると、葉のにおいが染みわたり、なんともいえない香りや味がすしに移る。これがすしの味を引き立たせる。また防腐効果もあるといわれている。ハランを使う家もあるが、ハランは固い。

 これらの葉が入手できない場合はカラシナ、レタスなどで代用することもある。この場合、葉はよけずに食べてしまうが、誤ってヤマミョウガの葉を食べてしまう人もいる。昔はこけらずしを小皿に取り分けるとき、ヤマイチゴやヤマミョウガの葉を目安にしたものだった。それが、あとから食べる者への配慮でもあった。今はその配慮がなくなってしまったようである。

こけらずしの材料と横長のすし型こけらずしと1人用のすし型

 尾鷲市の隣、紀北町の谷口一二三さんの材料は、すしご飯にサンマの酢漬け。そして、ニンジン、ゴボウ、シイタケ、レンコンなどを手で押し、その上に具を乗せる。ここで葉を置き、サンドウィッチのようにまた同じように重ねる。これをあと3段分繰り返す。しばらく重石を乗せて押す。十分に押すことが大事である。大きい型の場合も一気に押し、切る。切り方は斜めに切り、放射状にして大皿に盛りつけるのもあれば、正統な長方形に切る方法もある。

 また、同町島勝地区では「こけらずし」と呼ぶが、船津地区では「押しずし」と呼ぶ。また、島勝ではひとつひとつ、切らない大きさであるが、船津では大きい型を使う。目と鼻の先にあるふたつの地区ですらこういうものだ。おもしろい地域差である。

 尾鷲市天満浦にある天満荘。落ち着いた雰囲気のあるこの古民家は、大正14年(1925)の建造というから、今年が満100歳だ。ここで天満浦百人会の皆さんにこけらずしを作っていただくことになり、理事長の松井まつみさん、以下、出口とよみさん、田中洋子さん、中村元美さんにご無理をいった。机の上には押し箱のほかに緑色の葉っぱ。「そりゃヤブミョウガやわ。なけりゃあヤマイチゴでもええんやけどね」と松井さん。そばに置かれた押し箱には「沖中」という焼き印が押してある。「こけらずしの押し箱は、皆さんに声をかけたら、まぁ集まること集まること。そのオキナカさんもその中のひとりだね」。そうか、個人名だったのか。

 かつては結婚式や誕生祝い、祭りなどめでたごとはもちろん、人寄せの時には必ず作られたこけらずしであるが、今となっては自ら作ることはない。すしがまずいわけではない。それが証拠に、こけらずしを売りに出すと、客足は長蛇の列となる。「みんな忙しくなったってことでしょうなぁ」。松井さんは複雑な表情をした。

 食卓の方は出口さんたちの指導で、こけらずしの製作が始まった。魚は酢締めのカマス。玉子焼き。あとは野菜類で、ニンジン、シイタケ、ゴボウ、キヌサヤであるが、材料は何でもよい。まず、押し箱の底にヤマミョウガの葉を置き、次にご飯を5勺弱ほど入れる。そこで表面を平らにならし、具を並べる。「端っこは玉子焼きとニンジンを置くの。そうすると、できあがりの色合いがきれいに見えるでしょ」。なるほど、具は色とりどりあるがゆえに、並べ方にはセンスが光る。パンフレットも参考にしながら、具を並べていった。

 そこで再びヤブミョウガの葉を置いたら、またご飯を入れ、具を並べて押す。2段重ねるとヤブミョウガの葉を置き、押しぶたでギューッと押したら、箱から抜き出す。葉っぱで隠れてよく見えないが、断面だけからも、美しいこけらずしが想像できる。抜き出したすしは3等分する。葉っぱはついたまま。これをひとつ皿に盛り、葉っぱを外すと、こけらずしのお目見えである。きれいさは想像以上であった。

こけらずしを作るこけらずしを作るこけらずしを切る天満浦のこけらずし

 こけらずしはスーパーでも見かけた。そこのは2段重ねで、田の字型に切ってあった。こけらずしで有名になったすし屋もある。そこも、2段重ねであった。昨夜、尾鷲の駅前で食べたすし屋のは1段しかなかった。だが、待てよ。中の仕切りの葉っぱはなかったから1段? いやいや、それは時々カラシナやレタスに変わって、食べてしまうこともあるというから、やっぱり2段かなぁ。

 多彩なこけらずしのいろいろを見たような気になった。

スーパーで売っていたこけらずし



日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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