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新日本すし紀行

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第16回 混ぜますか?乗せますか?岐阜県の朴葉ホオバずし

岐阜県の朴葉ずし

 朴の木の葉に餅を包んだ「朴葉ホオバ餅」というのはけっこうあちこちで作られ、とりわけ新潟県や長野県で多く見られる。しかしすしを包んだ「朴葉ホオバずし」というのは少ない。朴葉ホオバずしは、名前だけ聞くと奈良の柿の葉ずしのようなものを想像しがちだが、ああいう風にきっちりと包み込むのではなく、葉をふたつに折って、間にすしをはさむ、ざっくりとした作りのものは、岐阜県の特産である。

 さて、この朴葉ホオバずしは岐阜県でも飛騨地方から東美濃地方にかけて分布するのであるが、飛騨地方は「混ぜ朴葉ホオバずし」、つまり間にはさんでいるのはすしご飯に具を混ぜてしまう「五目ずし」であるのに対し、東美濃地方は「乗せ朴葉ホオバずし」、つまり白いすしご飯の上に具を散らす「ちらしずし」である。地域差が歴然としてあった。


 温泉で名高い下呂市。温泉街の抜けたところに「JAひだ 給食センター 味彩」はある。そこ朴葉ホオバずしを作っているところを見学した。写真で完成品を見せてもらったのが「混ぜ朴葉ホオバずし」である。約束の時間に行くと、味彩の店長・今井政敏さんが待っていて、もうすぐご飯が炊きあがる、とのことだった。

 待つこと10分。作業場では釜の飯が今炊きあがったばかりであった。脇のバットの中にはサケとミョウガタケが細かくきざんで、甘い合わせ酢に浸けてある。ご飯を炊いた人の「まぁ、えぇですかな?」の問に今井さんがOKのサインを出すと、飯切りにご飯を入れ、サケとミョウガタケを振り入れる。あとは、ご飯の中にサケとミョウガをひたすら混ぜる。合わせ酢は、サケを浸しておいた合わせ酢である。それにしてもあの炊き立てのご飯は、サケにとって熱過ぎることであろう、と思っていたが、「いや、それでいいんですよ。熱いからこそ、サケがいい具合いに熱がまわるんです」と今井さん。なるほど。あぶったサケは保存食でもある。

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 飯切りの中に大量の「サケ(とミョウガタケ)のすし」ができたところで、再び中断。今度はすしを冷やすのだという。10分ほどたつと、今度はおばさんたちが飯切りの前に並び、「サケずし」を握り飯にする。おにぎりひとつあたりが180グラムだといい、ひとつひとつ計っているのだが、そんなものは「飾り」でしかないように思え、ほぼ正確に供せられる。しかも、細切れのサケの数が一定になるように、である。

 それに感心していると、今度はこれを朴の葉に包む。丸いおにぎりの上に紅しょうがを乗せると、それを朴の葉の中央近くに置き、葉をふたつに折り曲げると、そのままパックへ。いや、その速さたるや、筆には尽くしがたい。

 今井さんによれば「この味は朴の葉がやわらかい5月中旬から6月いっぱいのもの。昔はこのあたりが田植えや春蚕の世話で、農家が忙しかった頃だったんです。サッと食べられるように、このすしをこしらえておいたんでしょう」。「でも、この冬、直営の売店が店じまいになってしまうんで、来年は、うちの朴葉ホオバずしはどうしようか、考え中ですよ」。まだまだ一般家庭でも作る人は多いというが、近頃はふるさとを離れてしまった家族に家庭の味を届けたいと、この店の朴葉ホオバずしを使う人も増えた。なんとか続けて欲しいと思わずにはいられなかった。

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 そこから車で国道257号線、別名「裏木曽街道」を10分ほど行くと、途中に大きな峠がある。ここは、鎌倉時代、2代将軍・源頼家が舞台を作って能を見せたことから「舞台峠」と呼ばれているが、そこを越えたすぐのところに中津川市の「かしも産直市」がある。ここで名物「朴葉ホオバ」ずしを買った。3つの業者のものを買い、公園で包みを開いた。すべてが「乗せ朴葉ホオバずし」。飛騨国に属する下呂と美濃国に属する中津川では、朴葉ホオバずしのかたちがきれいに分布を分かれていた。具は、酢漬けのサケとキャラブキ、あとはシイタケだのそぼろだの漬物だのと色とりどりで、それぞれの業者に工夫の味があるが、よく見ると保存食ばかりである。冷蔵庫などなかった時代を感じさせる。

 ところが、である。最近、「乗せ朴葉ホオバずし」は下呂市内でも見かけるようになった。いや下呂だけでなく、もっと広く飛騨や郡上でも、「乗せ朴葉ホオバずし」がどんどんと進出している。具を混ぜてしまうよりも上に具を並べた方が見た目に美しいから、考えてみれば当たり前のことかもしれない。昔は「混ぜ朴葉ホオバずし」しかなかった飛騨高山でも、きれいな色合いの「乗せ朴葉ホオバずし」が食べられるようになった。

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 郡上市におもしろい朴葉ホオバずしがあると聞いたので、郡上八幡まで行った。待っていたのは情報をくださった、美濃加茂市で暮らしている清水万里子さんと、実家のお母さんの長尾朝子さんである。絵手紙の講師でもある長尾さんは、絵のお友達や同級生の方々にもお声をかけてくださった。「これ、今朝作ったんですよ」といって見せてくださったのは、たしかに朴葉ホオバではあるが、鮮やかな緑色ではなく、黒く変色してしまっている。あららら、「今朝作った」っていうのは本当だろうか。

 とりあえず、ひとついただく。黒い葉を開いて、目に入ってきたのは、上に散らした紅しょうがと、五目ずし。まぁ、一応は「混ぜ朴葉ホオバずし」であるはあるが、色が妙に黒い。「お寺では報恩講をはじめいろんな行事があって、昔はよく手伝いに行ったものよ。今日の朴葉ホオバずしは、昔、お寺のお斎(おとき)に出たもので、ゴボウとニンジンの混ぜご飯を作って、それをはさむのよ」とは長尾さん。「ほかにヒジキやシイタケを入れて、まず具を煮込むんです」と清水さんが注釈を入れる。長尾さんは「今日のは油揚げも入っとるよ。前夜からコンブや煮干し、シイタケの出汁をとって、今朝になってから具を煮るでしょ。煮上がったら、そこに酢を混ぜるの。で、ご飯が炊き上がる直前に、煮た具を汁ごと混ぜるのよ」と話す。「今日は、具を混ぜる時にコウナゴも入れたの。臭みもないでしょ?」

 かくして、炊いたご飯に酢を混ぜてすしご飯を作るのではなく、酢を一緒に炊き込んでしまう、あの黒い五目ずしができあがるわけだ。「あんまり汁を入れすぎると、ご飯がやわらかくなってしまうし、かといって、少ないと味が薄くなるし。そこらへんは人それぞれやわな」。で、そのすしは、熱い間に朴葉ホオバに包む。青い葉っぱは、たちまち黒変する。このことを「焼けてまう」という。だから、古い葉とまちがえたのである。

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 それにしても、今日は7月中旬。他の地方では、朴葉ホオバずしのシーズンはまず6月いっぱいで、この時期になれば、朴葉ホオバの時期は終わっているではないか。清水さんは「7月には郡上踊りが始まるでしょ? その踊り始めの日には、ここらへんじゃ朴葉ホオバずしを食べるんです」という。朴葉ホオバはもちろん、その時のもの。とってきていただいた朴の葉っぱの中心に、ちいちゃなつぼみがついている。「6月の葉っぱは、やわらかすぎていかん。7月になれば葉がしっかりしてくるから、すしにするにはいい」のだそうだ。これは下呂では聞かなかった理由で、その土地にはその土地の事情があるらしい。

 その後も、長尾さんをはじめ、戸田和子さん、牧カズ子さん、野口喜代子さん、日置明子さん、村瀬千代子さんら、人生の先輩方と、出していただいた朴葉ホオバずしや山菜野菜の料理などをいただきながら、すし談義、料理談義は続いた。私が桶から朴葉ホオバずしを取り、小皿に分けようとすると、「その皿はおかず用。朴葉ホオバずしには小皿なんかいらないの。そのまま手に持って、箸も使わずに食べたものよ」と一括されてしまった。こうやって人生の「未熟者」は、食のルールを「熟練者」から教わってゆくのである。

 でも、こういう機会も減っている。やれ「混ぜ朴葉ホオバ」だの「乗せ朴葉ホオバ」だの、葉っぱが緑だの黒っぽいだのいっていられるのも、ぜいたくなものになってゆくのであろうか。

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日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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