ご当地ずしの魅力


第2回 箱ずし
第2回目は、「箱ずし」をご紹介します。
前回ご紹介した「握りずし」を生み出したのは、江戸の町のすし屋でした。
すし屋の歴史って、握りずしよりも古いんですよね。
じゃぁ、握りずしが生まれる前のすし屋って、何を売っていたのでしょう?
答えは箱ずし。箱の中に白いすし飯を詰め、上に具を置いて押したものでした。
箱ずしは、握りずしよりずーっと前から食べられていたんです。
言ってみれば、箱ずしは握りずしの兄貴分なんです。
京都や大阪では18世紀の半ばには、箱ずしが売られていたようです。19世紀に入って庶民の生活もぜいたくになりますと、大阪ではより華やかで豪華な箱ずしが作られるようになりました。
これが大阪ずしです。そして、地方でもぜいたくな箱ずしの数々が作られておりました。
今回は、そんな箱ずしをご紹介しましょう。
大阪府 大阪ずし

文政から天保年間(1830年ころ)、大御所・徳川家斉のぜいたく時代を背景にしたか、それまでの箱ずしが改良されました。作ったのは大阪の「福本」という店で、従来は薄かった上置きの厚さを倍にしたのだそう。すると、たくさんの大阪ずし屋がそれにならったといいます。これを「2寸6分(8.5cm)四方の懐石」とまで呼ばしめたのは明治になってからで、今も淡路町にある「吉野寿司」の3代目でした。
愛知県 箱ずし

具は卵焼きや角麩、シイタケ、ニンジン、デンプなどのほか、しぐれ(貝のむき身)やハエ(子ブナ)の煮物など、なんでもOK。大きな箱に具を斜めに貼っていくのが特徴で、こうしておけば細かく切りわけた時、いろいろな味が楽しめるでしょ? 箱は1つずつ押すのではなくて、5つほどの箱を枠にはさみ、クサビを打ってまとめて押しをかけます。でも今は使う人も少なくなり、最近では用途がわからないという若い奥さんも多いとか。
山口県 岩国ずし

日本の箱ずしの中でも大きさが最大級なのが、岩国城下に伝わる岩国ずしでしょう。米が2升や3升くらいじゃ少ないそうで、中には座布団1枚ほどの箱もあるそうですよ。この中にすしご飯を入れ、しいたけや卵焼き、そして酢バス(レンコン)などの具を置きます。1段並べたら仕切りにハスの葉をはさみ、また1段、すし飯と具を並べます。すしを切るのも大仕事で、ノコギリにも似た長い包丁を持った人が、すしの上に乗って切ります。
長崎県 大村ずし

文明6年(1474)、長崎・大村領主の大村純伊は島原の有馬貴純に責められ国を追われたものの、その6年後に帰還。それを祝って領民たちがこのすしを作った、という伝説がありますが、真実としてはどうでしょう。酢や砂糖をたくさん使うことから、江戸時代中期くらいの成立じゃないでしょうか。でも伝説ではすしを切るのに脇差し(短刀)を使ったといい、今でもそれに似た細長い包丁を使います。
