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すしの歴史(6) 関東大震災とすし職人

今でこそ日本を代表する味、握りずしですが、これが全国に広がるのは第二次世界大戦以後のこと。それまでは、江戸に行かなければ食べられないものでした。もちろん、江戸の店の支店や出店みたいなものが、大都市である大阪や名古屋にないわけではありませんでしたが、握りずしは江戸の「郷土料理」だったのです。

大正12年(1923)、関東大震災が起こります。日本の首都は、地震と火事の被害に見舞われ、多くの人が焼け出されました。そんなとき、田舎から東京に出ていた人たちの中には、「もう、こんなところはイヤだ。ふるさとへ帰ろう」と考える人がいたのです。東京からふるさとへ。今でいう「Uターン現象」が起こったわけですね。 ふるさとでも働かなければなりません。「どうせなら、今までやっていた仕事を続けよう」と、人々は東京でやっていた仕事を、田舎で始めました。その中に、あの東京の郷土料理であるすし職人もいたのです。こうして、職人が各地に広がったのです。

関東大震災から20数年後。第二次世界大戦中、昭和20年3月10日を筆頭に東京大空襲が繰り返され、このときも大勢の人が被害を受けました。何人かが「首都にいることは怖い。田舎に避難しよう」と考えたのは当然で、関東大震災と同じことが、また起こりました。

ともに未曾有の大災害でしたが、握りずしにとっては、全国展開する絶好のきっかけになったのです。

委託加工米制度看板(浅草宝来鮨)
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