第4回 三聖吸酸図の変遷を辿る
孔子も老師も釈迦も納得?
はじめまして。小倉ヒラクです。僕は「発酵デザイナー」という肩書で、日本各地の発酵文化を訪ねる仕事をしています。 この連載では、発酵の視点からおすしの文化を紐解いていきます。
神の国の尊い酸味?
“神国の風味をとへば三杯酢”
江戸中期から後期にかけて刊行された川柳集『俳風柳多留』に収録された一句。ちょっと不思議な字面が並んでいますが、これどういう内容なのかというと。
「酢に酒や醤油、味醂などを混ぜた三杯酢こそ神の国の味である」と、ずいぶんお酢を持ち上げた句です。
「何で三杯酢と神様が関係してるの?」って思いますよね。実はこの句の裏には、中国の聖人のエピソードが隠れているんですね。
元ネタになっているのは『三聖吸酸図』という中世中国の有名な図像。北宋(11世紀)の時代、蘇東坡(そとうば)・黄魯直(こうろちょく)・仏印の三人が集まって桃花醋という果実酢をチューチュー吸って「すっぱいねぇ」とをお互い顔を見合わせた逸話が絵になったものなんですね。
蘇東坡は儒教、黄魯直は道教、仏印は仏教を代表する当時の聖人。それぞれ信仰が違っていても、酢は一様に酸っぱい!という「普遍的な世の真理」をあらわすものとして「酢」が持ち出されているというわけ。
この逸話から、3つの異なるものが酢(酸っぱいもの)に合一するという「酢の三位一体論」が生まれ、うま味や甘味を足し三杯酢が「三位一体の普遍的調味料」として飛躍していきます(江戸時代の人の発想はなんとユニークなことか)。
孔子(儒教)も老師(道教)も釈迦(仏教)もエラい神様みんな納得!ということで「神国の風味をとへば」という理屈になるわけです。
酢の認識の変遷
さてそんな中国の逸話を日本風に翻訳した『三聖吸酸図』。図像も一つだけでなく、複数の画人が傑作を残しています(西洋絵画の聖母受胎図のような感じです)。
まずは初期の吸酸図。室町後期の海北友松による屏風絵を見てみるとだな。酢を舐めている蘇東坡の顔、
「うわっ、めちゃ酸っぱ!」としかめっ面。
そして江戸後期、浮世絵の達人葛飾北斎の描いた三聖はどうか。
「くふふ、これはなかなかウマいものじゃ……」
となぜか悪代官顔でニヤニヤしています。さらに江戸後期、筆名人で知られた仙厓義梵和尚の描いた三聖となると、
「うわああああお酢おいしいぃぃぃ! サイコー!」
と今にも昇天しそうな満面の笑み。中国故事から室町時代までの「うわっ……酸っぱ……」というしかめ面から、江戸後期の「めちゃおいしー!」というハッピースマイルへの変遷、実に興味深くないですか?
おすしと酢の普及
この連載で追ってきたように、日本では、室町後期から江戸時代にかけては「酸っぱいもの」に対する価値観が大きく変わった時期。 その観点から三聖吸酸図の変遷を辿っていきましょう。
まずの「うわ…酸っぱ…」の室町時代。この頃のお酢は魚介類等の痛みやすい食材を長持ちさせる保存のため、あるいは抗菌効果等を期待した薬に近いもの。あまり「美味しい」という観点はなかったはずです。
いっぽう「めちゃおいしー!」の江戸時代後期。この頃には、お酢の原料となる酒の大量生産が始まり、クオリティも格段に上がっています。それに伴って、お酢が手に入りやすくなり、かつ品質も大幅に向上。日本各地にお酢専業の蔵が増えていきます。
さらに江戸末期になると、酒の副産物である酒粕からもお酢がつくれるようになりさらに値段が下がり、庶民のファストフードの王様、おすしに使われるように。酢飯やネタを〆るのに味も価格もこなれたお酢が使われるようになったのです。江戸後期から末期で日本人にとって酸っぱいものの認識が完璧に変わり、「普遍的な美味しさ=神の国の風味」と川柳で謳われるようになったわけです。
三聖吸酸図を描いた江戸のアーティスト、北斎は美味しい酢を舐め、おすしも楽しんでいたことでしょう。仙厓和尚ももしかしたらおすしを食べて「おいしーい!」と喜んでいたかもしれません。
えっ?お坊さんは魚食べられないって? 実はお坊さんでも食べられる「葉ずし」という野菜のおすしがあったりするんですよ。
孔子も老師も釈迦も納得。
酸っぱしが美味し…!