facebook line

世界の寿司学入門
第1章|アジアの寿司文化圏

中国大陸の鮓文化と発酵の知恵

中国大陸における寿司店数の分布(2024年8月時点)
中国大陸における寿司店数の分布(2024年8月時点)

寿司の源流をさかのぼると、中国各地に古くから伝わる「鮓(zhǎ)」と呼ばれる発酵魚の保存食にたどり着きます。「鮓」という語は、1~2世紀の字典『説文解字せつもんかいじ』に初めて登場し、3世紀の辞典『釈名しゃくみょう』では「米と塩を使った魚の漬け物」として紹介されています。また、紀元前5~3世紀の字典『爾雅じが』には、魚の塩辛を意味する「鮨(yì)」という語も見られ、魚介の発酵保存食が古代中国において日常的な食習慣であったことがうかがえます。

鮓文化がとくに発展したのは、巨大な湖・太湖を擁し「魚米の郷」とも呼ばれる江南地域や湖南・貴州・四川など長江流域の各地です。江南では、鯉を用いた「呉興うーしん鮓」が特産品として知られ、専門店や市場で広く流通し、時には献上品としても扱われていました。

6世紀の農書『斉民要術せいみんようじゅつ』には、「魚鮓作り」として多くの鮓の製法が記されており、魚の切り身や鯉のほか、豚肉を使ったものまで紹介されています。これらは塩漬けなどにした食材を米とともに密封し、自然発酵させるという技法で、日本の「なれずし」との共通点が多く見られます。この頃には、鮓は多様なかたちで中国社会に根づいていたと考えられます。

「裹鮓味佳(包み鮓は味が良い)」と書かれた王羲之の書簡『裹鮓帖』(4世紀)の模写本
「裹鮓味佳(包み鮓は味が良い)」と書かれた王羲之の書簡『裹鮓帖』(4世紀)の模写本

やがて、鮓は「なれずし(熟鮓)」として日本に伝わり、室町時代には発酵した米も一緒に食べるごはん料理「生なれ」へと変化します。さらに江戸時代になると、発酵の工程を省いて酢を加える「早ずし」が登場し、酢飯とネタを組み合わせた「握りずし」へと進化します。
こうして、「寿司」という和字とともに、日本独自の寿司文化が確立されていきました。

また、中国における発酵食品としては、もち米を発酵させた「醪糟らおざお」や塩漬け魚を発酵させた「魚醤ぎょしょう」が知られています。これらは発酵調味料としては発展したものの、日本の寿司のようには変化しませんでした。魚の漬物とされた鮓も次第に忘れ去られ、現在では一部地域に名残りをとどめるのみとなっています。20世紀に入って、酢を使った日本の寿司が中国に伝わりますが、鮓とは異なる米料理「寿司」として定着しています。

米を発酵させた中国の伝統調味料「醪糟」
米を発酵させた中国の伝統調味料「醪糟」

現代中国で広がる寿司文化

日本の寿司が本格的に中国で広まり始めたのは、1970年代以降の改革開放政策を経てからです。1990年代には、上海・北京などの大都市に高級日本料理店が登場し、主に富裕層や日本企業の駐在員に向けて寿司が提供されました。

2000年代に入ると、元気寿司、スシローといった日本の回転寿司チェーンが中国に進出し、さらには地元資本の寿司チェーンも次々に開店。ショッピングモールや郊外にも広がるようになり、寿司は特別な料理から日常的な外食へと変化していきました。SNSやデリバリーアプリの普及も追い風となって、若者の間でも寿司人気が高まり、グルメサイトには多くのレビューが掲載されています。

2025年3月時点で、中国国内には3万店近い寿司関連店があります。上海に800店以上、広州や深圳などのある広東省に5000店以上など、全体の6割以上が沿岸部に集中していますが、内陸部にも浸透しています。また、日本の伝統的な寿司だけでなく、「鵝肝うーかん寿司(フォアグラ寿司)」「脳花なおふぁー寿司(豚の脳味噌寿司)」といった中国式寿司も人気を集めており、日本の寿司は新たな食文化として中国に根を下ろしています。

中国・深圳に進出する日系回転寿司チェーン・元気寿司
中国・深圳に進出する日系回転寿司チェーン・元気寿司

周縁地域における寿司文化の多様性

中国大陸の鮓文化は台湾島や海南島、朝鮮半島などの地域にも影響を与えました。
それぞれ地域独自の鮓文化が現在も残っており、台湾島では、原住民族である泰雅たいやる族の「咑瑪糆たーまーめん」や阿美あみ族の「喜烙しーらお」などが知られています。また、海南島には海南料理として知られるりー族の「魚茶いーざあ(酸魚)」があります。「魚茶」はお茶ではなく、米や塩を使った発酵魚料理で、「魚鮓(Yúzhǎ)」が発音の近い「魚茶(Yúchá)」に変化したとされています。

1970年代以降、台湾では台湾経済の成長と共に日本との交流が活発化すると、寿司を含む日本食が人気を集めました。21世紀に入ると、1996年に開業した台湾系回転寿司「争鮮(SushiExpress)」が600店舗以上のチェーンに成長し、また、スシローなど日本の大手企業も進出し、寿司の大衆化が進展しました。回転寿司以外にも、現地の人々による高級店や大衆店、夜市の屋台に至るまで多様な寿司店が存在し、日本文化が受け入れられやすい風土と相まって、寿司は台湾社会に深く根付いています。

現地経営のミシュラン高級寿司店「吉兆」(台北)
現地経営のミシュラン高級寿司店「吉兆」(台北)

朝鮮半島では、咸鏡道かんきょうどうなどの東海岸沿いで、唐辛子を加えて真っ赤に仕上げた「シッケ」と呼ばれる酸っぱ辛い発酵魚の保存食が1600年頃から存在を確認されています。「シッケ」は、魚と米を発酵させる点で中国の鮓と共通する要素を持ちますが、唐辛子を加えるなど、朝鮮半島独自の発展を遂げています。

また、日本統治時代に伝わった「ノリマキ」が変化したとされる「キムパプ(キンバ)」は酢飯を使わないため、厳密には寿司とは異なりますが、寿司の派生系ともいえます。1965年の日韓国交正常化後は、日本食人気と共に握りずしが韓国でも広まり、現在では若者を中心に人気を集め、韓国は人口当たりの寿司店数が特に高い世界有数の寿司愛好国となっています。

朝鮮半島の酸っぱ辛い魚「シッケ(식해)」
朝鮮半島の酸っぱ辛い魚「シッケ(식해)」

東南アジアの酸っぱい魚とSUSHIの広がり

中国と同様に、タイ東北部やラオス、ミャンマー、カンボジアなど東南アジアの一部地域でも、古くから魚の保存技術が発展していました。塩と米を使って淡水魚を発酵させた「酸っぱい魚」は、今もなおタイでは「プラーソム(Pla Som)」、ラオスでは「ソムパー(Som Pa)」として、日常の保存食として親しまれています。

これらは日本の酢飯を使った寿司とは異なりますが、「魚+米」「保存」「酸味」という特徴を備えていることから、“寿司の原型”と考えられており、東南アジアの発酵魚文化は、日本の「なれずし」の源流のひとつとされています。

タイの酸っぱい魚「プラーソム」
タイの酸っぱい魚「プラーソム」

20世紀後半以降、日本の経済的進出とともに、寿司は「SUSHI」として東南アジアに広がっていきます。当初は日本人駐在員や観光客向けの料理でしたが、徐々に富裕層や若者の間で受け入れられ、現地の人々による寿司店の運営も一般的になりました。2000年代には、SUSHITEI(シンガポール)やSUSHIKING(マレーシア)といった中華系資本による店舗数100店を超える大型SUSHIチェーンが、東南アジア全域へ広く展開していきました。

今ではタイやベトナム、インドネシア、フィリピンなども含め、東南アジアには多くの寿司店がありますが、その多くは日本人以外のローカルの人々によって営まれています。

タイ人によって営まれる寿司屋台(タイ/バンコク)
タイ人によって営まれる寿司屋台(タイ/バンコク)
SUSHI TEI(インドネシア/バタム島)
SUSHI TEI(インドネシア/バタム島)

もうひとつのアジア圏のSUSHI事情

中国や台湾、韓国といった東アジアでは、日本と文化的に近い背景もあり、寿司は日本のスタイルを大きく変えることなく受け入れられてきました。一方、同じアジアでも南アジアや中東、中央アジアといった地域では、日本の寿司をベースにしながらも、宗教的価値観、食材事情、生活文化に合わせて、それぞれの地域で独自のSUSHIが発展を遂げています。

たとえば、ベジタリアン文化が根強く、生魚への抵抗感も残るインドでは、揚げ物やスパイス、野菜を取り入れたSUSHIが多く見られます。経済発展を遂げたニューデリーには、すでに多くの日本食レストランが存在しますが、果物を使ったスシロールが人気を集めているほか、酢飯の上に具材を重ねて焼いたスシベイク(Sushi Bake)といったフュージョンSUSHIも多く見られます。

果物をふんだんに使ったスシロール(インド/ニューデリー)
果物をふんだんに使ったスシロール(インド/ニューデリー)

中東では、イスラム教の食文化に配慮しながら、SUSHIはドバイやイスタンブールといった国際都市を中心に浸透していきました。富裕層や観光客を中心にSUSHIレストランが広がり、ハラール認証の取得など宗教的な事情に配慮したメニューも多く見られます。さらに、家庭でレモン酢やブドウの葉を使ったSUSHIがつくられるなど、SUSHIは日常の食卓にも取り入れられるようになっています。

中央アジアにおけるSUSHIの普及は比較的最近の現象です。ソ連崩壊後の1990 年代以降、経済自由化をきっかけに都市部から広がり、今では現地資本によるSUSHIレストランや宅配専門店も増加しています。カザフスタンの旧首都アルマトイには40 店以上のSUSHIレストランが営業しており、SUSHIはすでに日常的な外食の選択肢のひとつになっています。

ブドウの葉とレモン酢(クエン酸)で作られたトルコのスシロール
ブドウの葉とレモン酢(クエン酸)で作られたトルコのスシロール

アジアにおける寿司のかたち

魚の発酵保存食として始まった寿司は、日本で大きな変革を遂げ、日本独自の食文化として進化しながら、やがて世界へと広がっていきました。なかでも文化的に近いアジアは、受け入れがスムーズだった地域といえるでしょう。

東アジアや東南アジアでは、日本の寿司が比較的そのままのかたちで浸透していきましたが、徐々に現地の食文化や嗜好と結びつき、現在は多くの新しい寿司が生まれています。
そして、南アジア・中東・中央アジアでは、宗教や食材による制約、社会的背景などに応じて、寿司はより目に見えるかたちで変化し、日本人が親しんできた寿司とは異なるSUSHIが日常の食生活に取り込まれています。

地域ごとの文化や環境が、寿司のかたちにどう影響してきたのか。こうした違いを辿っていくことは、世界における寿司の姿を知るだけでなく、「寿司とは何か」という問いに向き合う手がかりになるかもしれません。

次の章では、アジアを離れた寿司が、北米というまったく異なる食文化の中でどのようにして受け入れられ、新しいかたちに変化していったのかを追っていきます。

寿司研究家・寿司ウォーカー代表
すしノスケ Sushinosuke
神奈川県ずし生まれの寿司研究家。慶應義塾大学経済学部卒業。『J.S.F.A 寿司検定 公式テキスト』総監修。寿司屋とIT企業での勤務を経て、魅力あふれる寿司の世界をすべての人へ伝えるために、寿司職人有志らと株式会社寿司ウォーカーを創業。

世界の寿司学入門
第1章|アジアの寿司文化圏 世界の寿司学入門 第2章 世界の寿司学入門 第3章 世界の寿司学入門 第4章
PAGE TOP