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世界の寿司学入門
第3章|南⽶を彩るSUSHIと移⺠の記憶

中南⽶

中南⽶は熱帯⾬林やアンデス⼭脈、豊かな海と農地を抱える資源豊かな地域で、先住⺠⽂化やヨーロッパの植⺠地⽀配、アフリカからの奴隷貿易、アジアからの移⺠などが交錯し、多様な⾷⽂化が育まれてきました。

この地におけるSUSHIの展開には⼆つの潮流があります。ひとつは19世紀末からの⽇本⼈移⺠によるものです。契約労働者として渡った移⺠たちは、限られた⾷材を⼯夫し、巻き寿司やいなり寿司などを家庭料理や⾏事⾷として根づかせました。それらは現地の⾷材と融合し、やがて⽇系社会を超えて広がり、ブラジルのテマケリアやペルーのニッケイ料理といった独⾃の形として発展していきました。

もうひとつは近隣のアメリカからの影響です。カリフォルニアロールに代表されるフュージョン寿司⽂化が波及し、サーモンやアボカド、クリームチーズといったアメリカでも定番の⾷材に現地⾷材を取り⼊れた華やかなSUSHIが多く⽣まれました。アメリカでも多く⾷されているホットロールやアメリカとメキシコの⽂化が交錯して⽣まれた寿司ブリトーなどがその⼀例です。

このように、⽇系移⺠とアメリカの影響を⾊濃く受けながら、中南⽶のSUSHIは地域ごとに独⾃の姿へと変化していきました。本章では、とりわけ⽇系移⺠の多いブラジル・ペルー・メキシコを中⼼にしながら、中南⽶全域におけるSUSHIの広がりや各地域の特⾊を⾒ていきます。

⽇系移⺠が育てたブラジルのSUSHI⽂化

ブラジルにおける⽇本⾷

南⽶最⼤の国ブラジルは、⼈⼝・経済規模ともに中南⽶を代表する存在であり、同時に世界で最も多くの⽇系⼈が暮らす国です。その数は約270万⼈ ※1 にのぼり、なかでもサンパウロ州を中⼼とした南部地域には⼤規模な⽇系社会が根づいています。

⽇系⼈の歴史は1908年の笠⼾丸かさとまるのサントス港到着によって始まります。彼らは主にコーヒー農園での労働に従事しながらも、次第に都市部へと進出し、商業・飲⾷業など多⽅⾯で活躍してきました。戦時中の1942年に⼀時移⺠が中断されましたが、1953年に再開すると、1980年代頃から⽇本⾷への関⼼が⾼まり、1990年代にはブラジル各地でSUSHIが親しまれるようになりました。現在では、2,850店ほどのSUSHIなどを提供する⽇本⾷レストランがあり ※2 、スーパーマーケットやビュッフェなど様々な場所で握り寿司をはじめとする多様なSUSHIを⾒ることができます。

アグリーニャが育んだブラジルのSUSHI

多様な⾷⽂化をもつブラジルでは、⾖、パン、⽜⾁と並んで⽶も広く⾷されています。⽇本のジャポニカ種とは異なり、粘りが少なく細⻑いインディカ⽶「アグリーニャ(Agerinia)」が主流ですが、⽇常的にご飯を主⾷とするという点では⽇本⾷との親和性が⾼く、寿司の受容やローカライズを後押しする⼟壌となりました。

そうした背景の下、⽇本の寿司⽂化は現地の嗜好と融合しながら独⾃の発展を遂げていきます。アボカドやマンゴー、クリームチーズ、野菜、さらには⽩⾝⿂のティラピアなど、現地で⾝近な⾷材を取り⼊れた創作SUSHIが多く誕⽣し、サーモンとストロベリーの組み合わせといったユニークなSUSHIも⽣まれています。

ホットロールとテマケリア

ブラジルで広く親しまれている創作SUSHIの代表格が「ホットロール(Hot Roll)」です。これはスシロールにパン粉をつけて揚げたスタイルで、サーモンやクリームチーズ、マンゴーなどの具材が使われます。揚げ物や⽢い味を好むブラジル⼈の嗜好に合い、冷たいという寿司のイメージを覆す新しいSUSHIとして⼈気を集めています。

2000年代に⼊ると、TEMAKI専⾨店「テマケリア(Temakeria)」が若者を中⼼に急拡⼤しました。注⽂ごとに⽬の前で作られるTEMAKIの具材には⿂介以外にアボガドや果物、揚げ物が使われたり、丸ごと揚げられたり、サイズも⼤きかったりと、⽇本の⼿巻き寿司とは異なる点が多くあります。⾮⽇系⼈による経営も多く、テマケリアのTEMAKIはいまやブラジルを代表する新しいSUSHIの定番となっています。

スシロールにパン粉をまぶして揚げたホットロール
スシロールにパン粉をまぶして揚げたホットロール
現地の⾷材を巻いたブラジルの TEMAKI
現地の⾷材を巻いたブラジルの TEMAKI

ペルーの⾷⽂化とニッケイ料理

ペルーと⽇系移⺠

南⽶⼤陸の⻄側に位置するペルーは、アンデス⼭脈、アマゾン地域、沿岸地帯の3つのエリアに分かれ、それぞれ独⾃の⾷⽂化を有しています。ジャガイモやトウモロコシといった古代インカ⽂明由来の⾷材に加え、スペイン、アフリカ、中国、そして⽇本など、多くの⽂化の影響を受け、多様な⾷⽂化を築いてきました。

ペルーもまた⽇系移⺠が多い国であり、約20万⼈の⽇系⼈が暮らしています ※1。⽇本からの本格的な移⺠は1899年に移⺠船の佐倉丸がカヤオ港に到着した頃から始まりました。主に契約農業労働者として沿岸部のプランテーションで働き、その後、商業や飲⾷業へと広がり、ブラジル・アメリカに次いで世界で3番⽬に多い⽇系⼈社会を形成しています。

ペルーから広がる新しいSUSHI

ペルーでは、⿂介のマリネ「セビチェ(Ceviche)」に代表されるように、⿂の⽣⾷⽂化が根づいており、沿岸部では⽶も主⾷として親しまれてきました。こうした背景の下、⽇系移⺠たちによって現地の⾷材や技法と⽇本⾷を融合させた「ニッケイ料理」が誕⽣し、SUSHIもまた⾃然な流れの中で広がっていきました。

握り寿司にセビチェ風ソースや唐辛子などを合わせた「ニギリ・アセビチャード(Nigiri Acevichado)」や、レモンや唐⾟⼦などのペルーの⾷材を使った「マキ・アセビチャード(Maki Acevichado)」は、セビチェ⾵味のマヨネーズソースを使ったニッケイSUSHIの代表格です。こうしたニッケイ料理やSUSHIを提供する店はペルー各地に広がり、⾸都リマだけでも100軒を超えるSUSHIレストランが存在しています。

⿂介を⽤いたセビチェ⾵のニッケイ料理
⿂介を⽤いたセビチェ⾵のニッケイ料理
セビチェ風ソースをかけたマキ・アセビチャード
セビチェ風ソースをかけたマキ・アセビチャード

メキシコで交錯するSUSHI⽂化

メキシコの⾷⽂化とSUSHI

北⽶⼤陸の最南端に位置するメキシコは、ラテンアメリカへの⼊⼝として、両地域をつなぐ存在です。マヤ・アステカ⽂明の伝統とスペイン植⺠地時代の歴史が交錯するこの地では、太平洋と⼤⻄洋という2つの海に⾯した豊富な海の幸に加え、トウモロコシ、⾖、唐⾟⼦をベースとする独⾃の⾷⽂化があり、トルティーヤやタコスなどのメキシコ料理が広く知られています。

約8万⼈ ※1 の⽇系移⺠が暮らすメキシコのSUSHI⽂化は、⽇系移⺠による⽇本⾷⽂化の持ち込みと、隣接するアメリカの影響を受けて発展しました。都市部にはOMAKASEを提供する本格的な寿司店もあるものの、主流はアメリカナイズされたフュージョンSUSHIであり、ロサンゼルス発祥とされる寿司ブリトーや寿司タコスなどが代表的な例です。⼀⽅、シナロア州で⽣まれたラテン系SUSHIともいえるシナロア寿司など、メキシコならではのSUSHIも存在感を放っています。

2つのメキシコスタイル

メキシコのSUSHI⽂化を語る上で⽋かせないのが、「寿司ブリトー(SUSHI Burrito)」と「寿司タコス(SUSHI Tacos)」です。寿司ブリトーは、酢飯や⿂介、野菜などをトルティーヤで包んだもので、寿司タコスは、トルティーヤまたは丸く切った海苔の天ぷらで酢飯や具材を挟み、スパイシーマヨネーズをかけたものです。これらは2000年代初頭に隣接するロサンゼルスのトラックフードから広まったとされ、メキシコへ逆輸⼊される形で浸透し、現在ではメキシコの定番SUSHIとして⼈気を集めています。

⼀⽅、アメリカナイズされたSUSHIとは異なる⽅向で発展したのが、メキシコ北部・シナロア州の「シナロア寿司(Sinaloan SUSHI)」と呼ばれるジャンルです。2000年代頃に始まり、ワサビの代わりとして⽤いられる地元のスパイスや、鶏⾁やベーコン、チーズ、パテなどの具材を⼤胆に使い、焼いたり揚げたりする豪快なスタイルが特徴です。エビ、カニ、クリームチーズをベースに様々な⿂介や⾁を巻いてソースやゴマをかけた「グアムチリト・ロール(Guamuchilito Roll)」が⼈気で、シナロア寿司はメキシコSUSHIレストランとしてアメリカにも進出するなど広がりを⾒せています。

メキシコにおける⽇本⾷レストランの躍進

⽇系移⺠の数ではブラジルやペルーより少ないメキシコですが、SUSHIを含む⽇本⾷レストランの数は約7,120店にのぼり、ブラジルやペルーを⼤きく上回っています ※2。これは中南⽶最⼤であるだけでなく、⽇本を除けば中国・⽶国・韓国・台湾に次ぐ世界第5位になっています ※2

メキシコに⽇本⾷レストランが多い理由には、アメリカと国境を接する地理的条件が背景にあります。アメリカで広まったSUSHIをはじめとする⽇本⾷⽂化が流⼊しやすかったこと、⾷材の調達がアメリカ経由で容易であったこと、さらに有名観光地でのSUSHIを中⼼とした⽇本⾷需要が⾼かったことなどが、メキシコを中南⽶最⼤の⽇本⾷市場へと押し上げる要因になったと考えられます。

イクラやサーモンと⾖を海苔で包んだ寿司タコス
イクラやサーモンと⾖を海苔で包んだ寿司タコス
豪快な盛り付けのシナロア寿司
豪快な盛り付けのシナロア寿司

中南⽶諸国とSUSHI

中南⽶におけるSUSHI⽂化の浸透

ブラジル・ペルー・メキシコ以外の国々でも、SUSHIは広く浸透しています。世界第2位のサーモン⽣産国である南⽶チリでは、サーモンやアボカド、クリームチーズを使ったスシロールや屋台で提供されるホットロールなど、SUSHIは⽇常的な料理の⼀つです。また、中⽶と南⽶をつなぐパナマ共和国では、握り寿司は限定的ながらも、揚げバナナロールといった現地⾷材を使った創作SUSHIが定着しており、SUSHI Expressなど外資系チェーンの進出も進んでいます。

その他の地域でも、アルゼンチンに約620店、コロンビアに約520店のSUSHIなどを提供する⽇本⾷レストランが存在し、エルサルバドルやグアテマラといった中⽶諸国でも、地元⾷材を取り⼊れたSUSHIが定着しています。政治体制などの理由により、飲⾷店経営の⾃由度が低いキューバなどでは普及が進んでいないものの、SUSHIは中南⽶全域で現地の⾵⼟に合わせた形で発展しており、世界でも有数のSUSHIが親しまれる地域となっています。

中南⽶のSUSHIの特⾊

中南⽶におけるSUSHIの特⾊は、現地⾷材との融合が前提で具材の⾃由度が⾼いこと、トッピングなどがふんだんに⽤いられて彩りが鮮やかなこと、調味料やソースで⽢味や⾟味が加えられて味のコントラストが強いことなどがあります。⽇本の寿司と⽐べると、酢飯の酢は弱めで、醤油ではなく⽢⾟いソースが使われることがあるなど、⽇本との違いも多く⾒られます。

⿂介はサーモンを筆頭にマグロやエビ、ティラピアなどが使われますが、握り寿司の種類は限られ、⼤都市にはOMAKASEを提供する本格的な寿司店もあるものの、全体としてはスシロールやフュージョン寿司が中⼼であり、フルーツやアボカド、クリームチーズ、トビコなどが多⽤されています。また、⽇系移⺠の存在や⿂の⽣⾷⽂化の有無が、地域ごとのSUSHIの違いを形づくる要因となっています。

中南⽶における寿司・⽇本⾷レストラン数の分布 ※2
中南⽶における寿司・⽇本⾷レストラン数の分布※2
フルーツなどの現地⾷材を⽤いたスシロール
フルーツなどの現地⾷材を⽤いたスシロール

地球の反対側から⾒るSUSHIのかたち

⽇本から⾒れば、地球の反対側という最も遠い場所で⽣まれた中南⽶のSUSHI。⽇系移⺠の⾷⽂化の持ち込みを起点としながらも、距離的な制約のため⽇本⾷の⾷材を得ることは難しく、必然的に現地⾷材を活かすことで、⽇本とは⼤きく異なる姿へと変化を遂げました。

酸っぱい⿂から始まり、⽇本で寿司として進化し、世界へ広がったSUSHIは、今また遠い中南⽶で新たな潮流を⽣み出しています。⾒慣れた形とは異なっても、酢飯という「酸っぱいメシ」を⽤いている点において、それは確かに寿司のもうひとつの姿といえるでしょう。地球で最も遠い地で⽣まれたSUSHIを眺めるとき、私たちは「寿司とは何か」という問いにひとつの答えを垣間⾒ることができます。

次章では、海を越えたヨーロッパの地で、⽇本の伝統的な寿司と北⽶のフュージョン寿司の影響を受けつつ、新しい姿へと変化していくSUSHIの姿を⾒ていきます。

出典:
※1 海外⽇系⼈推計 / 外務省領事局政策課
※2 海外における⽇本⾷レストランの国・地域別概数 / 農林⽔産省輸出・国際局輸出企画課


寿司研究家・寿司ウォーカー代表
すしノスケ Sushinosuke
神奈川県ずし生まれの寿司研究家。慶應義塾大学経済学部卒業。『J.S.F.A 寿司検定 公式テキスト』総監修。寿司屋とIT企業での勤務を経て、魅力あふれる寿司の世界をすべての人へ伝えるために、寿司職人有志らと株式会社寿司ウォーカーを創業。

世界の寿司学入門
第1章|アジアの寿司文化圏 第2章|北米におけるSUSHI発展史 第3章|南⽶を彩るSUSHIと移⺠の記憶 世界の寿司学入門 第4章
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