



春を告げる魚といえば、鰊が思い浮かぶ。
数の子で有名な鰊だが、じつは数の子を持つ時期のすこし手前、12月くらいのほうが身に脂が乗って美味しいのだ。
刺身でも握り寿司でも、とろけるように美味しい。
かなり前の出来事になるが、鰊の握りを食べながら、うれし涙を流した男性のことを思い出す。
冬のある日、80代の男性と20代の女性が来店した。電話での予約は女性の声で、「わたしが代金をお支払いますのでよろしくお願いします。」とのことだった。
ふたりの話を聞くと、85歳のおじいちゃんと、27歳の孫。東京から来た女性は、祖父が大好きらしい。
一人暮らしのおじいちゃんを心配して来札したという。
高齢とはいえ、背筋がしゃきっと伸びた紳士なおじいさんだ。「魚が好きなおじいちゃんに美味しい寿司をたべてもらいたくて。」と話す女性は、楽しそうに笑っている。
「今日のおススメは何?」と聞いてきたので「今日はニシンが旨いよ」と大将。
すると、そのおじいちゃんは昔話をはじめた。
「おお、ニシンか。それを刺身でたのむよ。あとで握りもいただこう。
わしの子供の頃は、ニシン漁がまだ盛んだった。そりゃあもう、大漁だったよ。
当時ニシンで栄えた町は豪華な家が建ち、今でも鰊御殿として残っているんだよ。」
「へぇ~魚で豪華な家が建つなんて信じられないわ。」と孫。
「おじいちゃん、今日は私のおごりだから、たくさん食べてね!」と言う孫の言葉に、おじいちゃんは涙を浮かべながら嬉しそうに箸をすすめていた。
ここ数年は、すこしずつだが鰊が戻ってきている。
鰊の群れにより、海が白く見える現象「群来」がみられるようになって嬉しく思っている。

※これは「鮨処いちい」に来られたお客様の実話をもとにした小話です。