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すしのイベント(11)職人達の寿司考

(1)郷土のわさび寿司を全国区に!~親子で紡ぐ有田川町の食文化~

わさび寿司

観光名所・蘭島(あらぎじま)近くにある和食店

「赤玉」三代目・西林和高さん

 和歌山県の山中に“清水”と呼ばれる地域がある。正式には和歌山県有田川町清水なのだが、地名に“清水”とあるように昔から水のきれいな場所だったのだろう。今回の主役である「赤玉」の三代目・西林和高さんも「水がきれいからわさびが自生しており、その昔は杉林の下の川沿いに自生していたわさびの葉を摘んで寿司を作っていました」とこの地域に根づくわさび寿司の話をしてくれた。そう、清水には古くからわさび寿司を作って食す文化があったのだ。少々誤解が生じそうなので、「赤玉」で作っているわさび寿司について先に説明しておく。わさび寿司と聞くと、寿司の中にわさびが一杯詰まった辛~いものを想像しがちだが、さにあらず。この地域で作られているわさび寿司は、約40gの酢飯をわさびの葉で包んだもので、具には締め鯖が用いられていた。「赤玉」ではそれを商品化(メニュー化)するにあたり、具材を鯖だけでなく、わさび・鮎の甘露煮・鰻・サーモンとバラエティ化を図り、5種のわさび寿司を提供するようになった。「よくTV番組のバツゲームに登場するような辛~いだけの寿司ではありません。わさびを具にしていないものは、むしろ辛くもなく、葉わさびの香りと食感を楽しむ寿司とでも説明しておいた方がいいかもしれません」と西林和高さんが教えてくれた。有田川町清水に伝わるわさび寿司は、包み寿司の一種である。包み寿司とは、酢飯を何かで包むスタイルのもので、柿の葉寿司やめはり寿司がそれに当たる。形が崩れにくくて持ち運びがしやすく、保存にも向くとあって作業の合い間に食べるのに重宝されたと思われる。西林和高さんによれば、この地域には四季折々で色んな包み寿司を作って食べる習慣があったそう。「わさびの葉は春までに採ってわさび寿司にします。初夏には芭蕉の葉で包んだ芭蕉寿司を食べ、夏には茗荷の葉で包む茗荷寿司を、秋には柿の葉を用いた柿の葉寿司を作って食べるのが、この地域の食文化なんです。そのうちの春のわさび寿司を『赤玉』では通年商品にして父親の代から提供するようになりました。地域の食文化と郷土寿司を訴求すべく、私が全国各地の百貨店の催事に赴き、売っています」との話であった。まさにわさび寿司は“おらが村の町興し”の一環になっているようで、「赤玉」ではそれを作るだけではなく、地方行脚してその旨さを広めようとしているのだ。

有田川町清水に伝わるわさび寿司 葉っぱごと食べるわさび寿司

 ところで「赤玉」がある有田川町清水とはどんな場所であろうか。有田川町は東西に広い。海に近い有田ICとは逆方向で、インターチェンジを降りてひたすら山の方へ車を走らせる。山中の町といっても道路は広く、ただ単調で一本道を1時間程かけて走ると、有田川沿いに「赤玉」がある。付近の名所は蘭島(あらぎじま)。島と名は付くが、海に浮かぶ島ではなく、こちらは棚田の事。本来は嶋新田というらしいが、通称の「あらぎ島」の方が有名になってしまった。蘭島は、有田川沿いにΩ状に連なる田んぼで面積は24182㎡。大小54枚の田んぼが階段状の扇型に形成されている。ここは棚田百選にも選ばれている景勝地で、その景色を見るために多くの観光客が訪れる。そして彼らは決まって「赤玉」に立ち寄り、わさび寿司を求めるのだ。なので「赤玉」は、観光客やツーリング客の食事処としても名を馳すようだ。「昔は林業が栄えていたので何万人も暮らしていて映画館やパチンコ屋まであったんですよ」と西林和高さん。今は過疎化が進んでおり、住民も3000人弱に減っている。その分、田舎の雰囲気と空気がいいのが、わさび寿司にぴったりなイメージになっているように思えてならない。

 「赤玉」は、創業76年というこの地域ではおなじみの飲食店。戦後祖父の西林照三さんが和歌山市内の堀止にあった「赤玉」で料理修業をし、独立したのを機に清水の店も「赤玉」と名乗らせてもらったという。かつては食堂的趣きの強い店だったが、西林和高さんが三代目を継ぐに当たって郷土色を強めた和食店に変貌した。西林和高さんは、いずれ店を継ぐ事を見越して当時北新地で人気を博していた「粋餐 石和川」に就職。名料理人として呼び名も高い浦上浩さんの薫陶に受けて日本料理の職人として修業をした。その後、仕出しの勉強をすべく「成田屋」で働き、27歳の時に父の西林輝昌さんが営む「赤玉」へ戻った。しばらくは親子体制で「赤玉」の料理を作っていたが、今から17年前に西林輝昌さんが代を譲り、西林和高さん色の強い店にリニューアルしたようだ。西林和高さんが三代目を継いでからは、この地域の名産であるぶどう山椒を用いた料理を充実させたり、鮎や山菜の料理を出したり、地の猪肉で作るボタン鍋を提供したりして郷土色を強めた。さりとて以前からの常連客の需要もあるので麺類や定食類も提供しており、気軽に食す日常タイプと、地の食材にこだわった料理を味わう非日常タイプが混在した飲食店になっている。

蘭島 赤玉 店舗

地域のわさび寿司を多くの人に食べてもらいたい

 さて肝心のわさび寿司に話を戻そう。わさびの葉で酢飯を包むわさび寿司は、この地域に根づいて来た郷土寿司であるというのは既に説明した。地域が過疎化したためか、それとも食がバラエティ化したのかわからないが、一時はわさび寿司も消えつつあったらしい。それを復活させたのが「赤玉」の二代目・西林輝昌さんで、店での商品化を進めたのと同時に土産物の需要も高めた。わさび寿司というと、柿の葉寿司のように締め鯖を具材として用いるものと相場が決まっていた。これは清水ルートがかつては鯖街道とまでいわれて、高野山へ運んでいたとの謂れから。それを商品化にあたって新たに鮎の甘露煮を寿司ダネに加えて二種類のわさび寿司として走り出した。当初はその形状から“わさび葉寿司”というネーミングにしようかと思ったらしいが、インパクトを与えるとの理由と、伝統の名前を変えるのも問題があるので、あえて“わさび寿司”と名乗って販売したようだ。このようにして見事わさび寿司復活を果たしたのだ。現在は具も鯖・山葵・鮎・鰻・サーモンの5種になり、5貫セットとして土産物になっている。

わさび寿司 赤玉 わさび寿司

 寿司飯も当初はわさびの軸を刻んで仕込んでいたらしいが、それでは上手く混ざらないから酢の中にわさびの軸を刻んで入れるようにし、わさび寿司らしい酢飯を完成させている。加えてワサビの軸も酢飯に入れているから葉と飯の両方からわさびの風味が伝わる。肝心のわさびの葉は初めは日高町の真妻から仕入れていた。「五條(奈良)から送ってもらっていた時代もありましたが、樹木の伐採で採れなくなって断念。今では相当量のわさびの葉を必要とするので葉っぱの町と称される上勝町から送ってもらっています」。西林和高さんの話では、葉わさびが青々として巷に出て来るのは1~5月だとか。「赤玉」ではそれを塩水に入れて真空にて一気に漬ける。冷凍保存する事で一年間の需要をまかなうらしい。「そんな塩漬けの葉わさびは、香りも飛ばず、年中青々とし、わさびの爽やかな香りを発する」そうだ。西林家は、蘭島の棚田に田んぼを持っている。現在農業は二代目を退いた西林輝昌さんの仕事らしく、蘭島でわさび寿司に使う米を栽培している。流石に自分の田んぼだけでは、一年間に使う米の量はまかなえないから地域の農家さんにも頼んで回してもらっているようだ。以前はすっきりした味にしていた酢飯も今では一般的な嗜好を考慮して少し甘めに。そうする事でご飯がパサパサにならないとのメリットも得られる。今でこそ地元の名物にまで成長したわさび寿司だが、味についてはまだまだ悩みもあるようで、西林和高さんの頭の中では、まだすっきりした回答が出ていない。それはネーミングと味のギャップで誰しもわさび寿司と聞くと辛さをイメージするからだ。「具材を山葵にしているもの以外は、わさびの葉で包んでいるだけなので辛みがないんです。擂ったわさびを少しだけ入れて印象の乖離を柔らげたらとの声があるのも事実。でもそれだと旧来からのわさび寿司ではなくなってしまうとの意見もあって思案のしどころなんです」と言っていた。そんな悩みもわさび寿司が各地で認知され始めたから出て来るもので、やはり西林和高さんの全国行脚は功を奏しているように思える。そもそもわさび寿司の販売を各地の百貨店から声がけされるきっかけになったのが読売テレビ系の人気番組「秘密のケンミンSHOW」放映である。流石に人気番組だけあって放送後の反響は凄かったそうだ。「全国各地から問い合わせがあって店のスタッフはその対応に大わらわ。400~500件も問い合わせがあって店を閉めて作り続けたくらい。その時は一年分をストックしていたわさびの葉がすぐになくなってしまったくらいです」。まっ先に催事依頼が来たのが東京の三越で、西林和高さんは喜び勇んで販売に出かけた。ところが、東京ではわさび寿司が全く知られておらず、大半を売り残して有田川町に帰って来たという。「私も出し方や見せ方がわかっておらず、単に売っていただけ。東京の人は、わさび寿司と聞くや、バツゲームに出て来るわさびをたっぷり含んだ寿司をイメージするらしく、『そんな辛いのはいらない』って思われたようです。わさびの葉で包んでいるのと、そのサイズだけを印象づけて和菓子と誤解されたり、草餅と間違えられたり、とにかく認知してもらうまでが大変でした」。何も東京だけがそうではなく、同じ関西の大阪の百貨店で出店した時も同じ。「得体の知れんもん」と扱われ、大半が売れずに捨て帰って来たらしい。百貨店の催事に出ても初めは売れなかったわさび寿司が、毎年同じ百貨店で売るようになって徐々に知ってくれるように。各地で販売し始めてから10年くらいで売上も5倍に達した。その分、西林和高さんの活動範囲は広くなり、去年は何んと全国35カ所で販売した。

 現在、「赤玉」は、アルバイトも含めて10人のスタッフが働いている。そのうちわさび寿司を担当するのは3人で、一日に千個は作る。同じ包み寿司でも柿の葉寿司や朴葉寿司は巻いているだけで葉まで食べない。葉も一緒に食してしまうのは、わさび寿司とめはり寿司だけなら、やはり珍しい包み寿司といえる。有田川町清水で古くから食された郷土寿司が父・西林輝昌さんによって復活を遂げ、その普及に息子の西林和高さんが奔走する。なんという地元愛の物語なんだろうと感心してしまった。「わさび寿司は、バツゲームに出て来るようなものじゃなく、爽やかな香りを有す葉わさびで包んだ珍しい包み寿司なんですよ」、そんな西林和高さんの声が今にも蘇って来そうだ。「地の旨いもんを世に広めたい」と願う西林和高さんの郷土愛には敬服してしまう。

赤玉 西林和高さん 赤玉 店舗
〈取材協力〉
赤玉
住所/和歌山県有田郡有田川町清水337-1 TEL/0737-25-0371
営業時間/
月火曜日 11:00~13:30LO
木金曜日 11:00~13:30LO、17:00~21:00LO
土日曜日 11:00~15:00LO、17:00~21:00LO
休み/水曜日
曽我和弘(そが かずひろ)
フードジャーナリスト、フードプランナー。長年雑誌畑を歩いて来て、数多くの雑誌や書籍を手がけて来た。主に食関係のものが多く、関西では食の専門家として常に名前が挙がるほど幅広く活躍している。JR西日本フードサービスネットの駅飲食事業にも参画し、三宮駅中央コンコースや大阪駅御堂筋口の飲食店をプロデュースして関西での駅ナカブームの火付け役となった。その他、酒粕プロジェクトやオルタナティブアルコールの企画者としても知られている。大阪樟蔭女子大学でも教壇に立っている。

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