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(4)江戸のすし屋台

すし屋ですしを注文すると、たいていの場合、2個ずつ握ってくれる。
これを「2カン漬け」というが、1個の注文で、値段は勝手に2倍になる。

握りずしが生まれた当時(1820年頃)、屋台で盛んに食べられた。そのひとつは、今のすしの2~3個分もあった。
すし屋は屋台の奥で、座って握っており、客は屋台を囲んで立ったまま食べた。
箸などというものはなく、客はすしを手でつかみ、3~4個食べたら勘定をして、店ののれんで汚れた手を拭いていったという。

また握りずしは手みやげ用に折り詰めにされたり、芝居や花見見物の弁当としても使われた。
こちらは箸を使った豪勢なものであったが、手軽にすませる場合は楊枝で刺して食べることもあった。

日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授

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