facebook line

(12)五目ちらし

6月27日は「ちらしずしの日」。これはこの日が江戸時代の岡山藩主・池田光政の命日であることによる。
光政は質素倹約を徹底させるため、領民に「一汁一菜の令」、すなわち庶民の食事は飯一膳に対し、汁物が一つとお菜(おかず)が一皿、という制限を加えた。領民は、せめて祭りの日くらいはお触れを許してほしいと願い出たが、領主側の返事は「ノー」。怒った領民は、海のものも山のものも里のものも、とにかくごちそうを作ってすしご飯に混ぜ、「これならごはん茶碗一膳だ。お菜の皿はいらないよ」と涼しい顔をした。
別説では重箱の底にぜいたくな具を詰め、上に白いすしご飯を乗せた。これも一見すれば白いご飯だけで、役人の目を盗んでは、下に隠したおかずを食べた。いずれにせよ、領主の厳しい倹約令と、それに対する庶民の知恵がうかがえる話だが、これがちらしずしの起源であるという。
もっとも光政の生きた江戸時代初期は、すしといえばご飯と魚を発酵させたもの。酢をあわせたすしご飯などまだなく、この話も、史実としては疑わしいのだが。



岡山の豪華なばらずし

今、「ちらしずし」と簡単に書いてしまったが、このすしを、地元・岡山では「ばらずし」と呼ぶ。ご飯を押さずに、バラバラとしているからであろう。「ちらしずし」とも「五目ずし」とも呼ばない。では、「ちらしずし」と「五目ずし」はどういうすしなのであろうか。いや、だいたいが「ちらしずし」と「五目ずし」はどう違うのであろうか。
一般にいわれているのは、ご飯の上に具を乗せるのが「ちらしずし」。すし屋で出てくる、あれである。それに対して、ご飯に具を混ぜてしまうのが「五目ずし」。家庭でよく作るのは、大半が五目ずしであろう。今でも静岡県では「ちらしずし」と「五目ずし」を使い分けている。
ところが、そう簡単には問屋が卸さない。江戸時代後期に記された『守貞漫稿』には「散しごもく」とあり、アワビや魚の刺身などのほか、シイタケやタケノコ、レンコンなどの具を切り刻んで、ご飯に混ぜたもの、とある。先の例に従えば「五目ずし」だが、上には錦糸卵を置くというから「ちらしずし」の側面も持っている。それを「ちらし五目」と呼んだのか? あぁ、ややこしい…。


静岡県御殿場市の「ちらしずし」



静岡県御殿場市の「五目ずし」


ご飯は押し固めてバラバラとはしていないのに「ばらずし」と呼ぶすしが、京都府の丹後海岸部にある。「マツブタ=もろぶた(糀を入れるふた)」にすしご飯を詰め、上にシイタケやニンジン、カマボコなどを置いて、しっかり押しをかける。食べる時はへらで起こして皿に盛るという、一風変わったものであるが、これと同じ製法が江戸後期の料理書『名飯部類』に「起こしずし」「すくいずし」として載っている。上方では人気があったそうだ。
だが、このすし。実にやっかいで、宴席にそのまま出てきて、「どうぞ、おすしはご自分で」。さんざんお酒をいただいて、すっかりでき上ってしまっている客は、酔った手でへらと皿を持ち、食べようとする。せっかくしっかり押してあっても、そんなことはおかまいなしで、ついにはご飯がバラバラと崩れてしまう。「だったら、最初から押さなければいいじゃないの」。というわけで、「起こしずし」はご飯がバラバラの、押しをかけないすしとなった、という。
この「ばらずし」は、押しをかけながらも、やがてご飯がバラバラになる、そんな過渡期のものだと考えられる。



京都府丹後のばらずし



日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授

PAGE TOP