お酢が世界史の文献に初めて登場するのは、紀元前5000年ごろのメソポタミア南部、のちにバビロニアと呼ばれる地域です。ナツメヤシや干しブドウを利用 してお酢を作っていたということが分かっています。そして、今から約4000年前の紀元前2000年ごろには、なんと野菜をスパイスやハーブと一緒に酢漬 けしてピクルスを作る食文化があったというから驚きです。
紀元前4世紀には、医学の父と言われるヒポクラテスがビネガーの抗菌作用に注目し、呼吸器病や皮膚病の治療にお酢を用い、回復期の患者には酢卵を飲ませていたと言われています。そのほか、中耳炎や咳止めとして利用されていたという記録も残っています。
日本にお酢の醸造技術を伝えたとされている中国では、古くからお酢が造られていました。紀元前1100年、封建国家として誕生した「周」の官制を記録した書物に「果作醋」という文字があり、酢造りを担当する役人がいたことを物語っています。
中世になると、その土地の作物を生かして個性あるビネガーが発明されるようになります。11世紀までに、イタリアでは、ブドウの果実を煮込んで10年以上 かけて熟成させるバルサミコが誕生しています。また、14世紀ごろのヨーロッパでは、野菜と生の油をよく混ぜ、酢と塩をかけて食卓に出す、現在のサラダの 原形となる食べ方が始まります。
初めて日本にお酢の醸造技術が伝わったのは4~5世紀ごろ。中国大陸から酒の醸造技術とともに伝えられたとされています。奈良時代になると酢造りが盛んに なり、朝廷は酢を税として徴収するようになります。この頃には、すでに発酵調味料である醤に酢を混ぜた、現在の二杯酢のような合わせ酢がつくられていまし た。また、平安時代の貴族は、生魚や干し魚を、小皿に入れたお酢や塩などにつけて食べるのを好んだと言われています。
鎌倉時代になると、お酢はより重要な調味料となります。お酢に魚介類を細く切って漬けて食べる膾(なます)が開発されたのも、このころだと言われています。 ちなみに、現在のように魚介類を刺身にして食べるようになるのは、安土桃山時代に入ってからのことです。それまでは、酢を使った川魚料理が主流を占めてい たようです。
江戸時代は、南蛮渡来の天ぷらを含め、近代日本の食文化を形づくるほとんどの料理が生まれた時代と言っても過言ではありません。そのような江戸の食文化を 語るうえで欠かせない「すし」は、酢を利用することで誕生しました。「すし」の原形は、生魚をごはんに漬け込むことで“うまみ”と“保存性”を高めた「なれずし」や「押しずし」のようなものでした。江戸時代になって、ごはんにお酢を混ぜるようになったのです。現在の「にぎりずし」は江戸末期に始まりました が、「すし」の原形と比べて調理時間が短かったため当時は「早ずし」と呼ばれていました。「すし」が江戸の食文化に浸透していった背景には、江戸っ子の気 の短さだけでなく、酒粕から酢を造る新しい技術が尾州(愛知県)半田の酒造元で開発され、手ごろな価格で酢が手に入るようになったことも大きく影響したと 考えられています。