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すしの歴史(1) 日本古来の「発酵ずし」と、最古のすし屋「つるべすし 弥助」

日本古来の「発酵ずし」

1200年以上の歴史を持つ日本のおすし。
その最も古いかたちは、酢は使わない、そしてご飯は食べずに、発酵のために使うもの。ご飯を発酵させ、酸っぱくする保存食・発酵ずしでした。発酵ずしの起源は東南アジアでの魚、肉の保存食に由来します。

今、皆さんがイメージされるおすしとは違って、漬物にも似ています。 滋賀県の鮒ずしの由来でもあります。
魚を米飯と塩で発酵させた食べ物を「熟(な)れずし」と呼び、奈良時代の高貴な方々の食べ物として定着していました。

そういう「熟れずし」の時代は長く続きますが、外見的にも内容的にも姿を変えるのは室町時代のことです。まず発酵期間を短くして、ご飯も食べるようになります。
発酵を浅くてやめてしまいますから、魚もどことなくなまなましい。そこでこのような形態のおすしを「なまなれ」といいます。「なまなれ」の出現で、おすしには食べどきというものができ、食べる日から逆算して、おすしを作ることも可能になりました。

また、おすしが広く知られるようになったのもこの頃です。

続く江戸時代になりますと、おすしはさらに庶民へと浸透してゆきました。江戸半ばにはご飯を発酵させつつも、酢を混ぜることがめずらしくなくなり、18世紀になって、早ずしの完成となります。
ところがこれは一般庶民の話で、天皇家とか将軍家、大名家などでは、あい変わらずの「なまなれ」を食べていました。彼らにとって、伝統とは守るものであり、おすしも例外ではなかったのです。

ですから、幕末になっても、江戸初期以前の「なまなれ」を作ったり売ったりする店が、数少ないながらも残っていました。
古くから幕府御用や仙洞御所(譲位した上皇の御所)御用になっていた奈良の「つるべすし 弥助」も、そのうちの一軒でした。

最古のすし屋「つるべすし 弥助」

奈良県吉野郡下市町に現存する「つるべすし 弥助」は現在は「熟れずし」は作っていません。
鮎の押しずし中心の料理屋となっています。

49代弥助さんによると大昔から下市村界隈で鮎の熟れずしは作られていましたが、商売の記録としては400年ほど前の1600年、関ケ原の戦いの頃に京の朝廷に上納したのが最初らしいです。
鮎は身が薄いので、発酵熟成させる期間は5日ほどとのことでした。

今の店舗は昭和12年に火災で焼失し、翌年に建てられたものです。べんがら塗りの朱色の建物は、風情にあふれています。
館内には「すし桶」など、歴史を感じさせてくれるものが多く飾られており、歌舞伎ファンの聖地となっています。

歌舞伎の演目にも

「義経千本桜 鮓屋の段」に出てくるのは、「つるべすし 弥助」です。
歌舞伎や人形浄瑠璃の、「義経千本桜 鮓屋の段」に出てくる「つるべすし」は、鮎の熟れずし(なまなれ)で、入れていた桶が井戸水を汲む釣瓶(つるべ)に似ていたのが由来です。 現代の鮎の押しずし、箱ずしの源流です。

源平の戦いに敗れ、源氏の追手から逃れた「平維盛(これもり)」は、奈良吉野下市村の、つるべすし屋に匿われ、名を「弥助」と改めます。そこで看板娘の「お里」に惚れられながら平穏な生活を送りますが・・・

物語は源氏の追手、梶原景時がこのすし屋に来ることで急展開します。札付きの悪で勘当されたお里の兄「いがみの権太」が改心し、弥助を守ろうと奮闘する中、すし桶が重要な鍵となって佳境に入ります。

すし屋のことは俗に「弥助」と呼ばれ、「乱暴者」の意味で使われる「ごんたくれ」は権太に由来します。

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