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すしの歴史(11) すしからSUSHIへ

江戸時代の末期に江戸の町で生まれた握りずしは、時代がたつにつれ日本中に広がりました。明治期に入ると、その広がりは海外にも及んでゆきます。
明治以降の日本移民は、例えばアメリカの南カリフォルニアでは、明治33年当時でわずか200名であったのが、10年後には5000名、さらにその10年後には15000名を超えておりました。彼らは1ヶ所にまとまって生活し、大正年間にはリトルトウキョウなる日本人街が作られるほどでした。日本人が多くいれば日本食の店もできます。すし屋もできます。カリフォルニアで一番早かった店は明治39年開店だったと聞いています。もちろん、握りずしです。その後はすし屋も、数をどんどん増やしてゆきました。 さて、当初のすしは、当然、日本人相手の料理でした。特に握りずしなど、とんでもない一品でした。だいたい、生の魚をそのまま食べるなんて外国の人にはとんでもないことです。食習慣が違う、というより、魚とは「火を入れて食べるもの」ですから、生で食べられるように流通していなかったのです。日本人はそれをうまく工夫しながら、生でも魚を食べるように知恵を絞り、握りずしを食べていたのでしょう。

サイパンのスーパーにて
サイパンのスーパーにて

さて、時代は戦時下へと入ってゆきます。今度は移民の話ではありません。日本は大陸に攻め入り、また、「南洋諸島」も国際連盟の委任を受けて、領土を拡大しました。軍人はじめ多くの民間人が、新しくできた日本領へ住み込みました。外国へ渡ってそこで新たに在住した、いわば少数民族のように扱われた「移民」とは違って、自国の領土に移り住んだのです。当然ながらすしも持ち込まれましたが、周囲から好奇の目で睨まれるようなことはなく、堂々とすしを食べ、それを周りの現地人たち(昔からその土地に住んでいる人ですね)に見せつけたのです。結果、現地の食べ物としてなじまれたすしもありました。
今も親日派が多いグアムやサイパンなどの「南洋諸島」では、スーパーに行けばRoll Sushi(巻きずし)やBrown Sushi(稲荷ずし)が当たり前に売っています。ただこれらは日本領だった頃のなごりかといえばそうともいえず、むしろ米を大量に持ち込んだ米軍統治領になってからのことだといいます。しかしながら米軍統治になってからでも、日本のすしの味を覚えて、食べていたんですね。

カンボジア・シェムリアップの高級日本料理・Nigiri-zushi
カンボジア・シェムリアップの高級日本料理・Nigiri-zushi

朝鮮半島では、いまだに強い反日感情を持っている人も多いようです。その延長上か「日本のたくあん漬けなど大嫌い!」という人もいるそうですが、韓国の代表的なキムパプは海苔巻きずしでして、その中の芯はたくあん漬けなのです。つまり韓国では海苔巻きずしが一般的な食べ物で、それは日本統治時代に土地の人々に伝えたもの。それを知らず知らずのうちに食べ続けてきた結果、キムパプが国民食となり、芯に入っているたくあん漬けが、実は日本生まれだということさえ忘れられてしまった、ということでしょうか。

さて、話をアメリカのカリフォルニアへと戻しましょう。
戦前期、リトルトウキョウで好評を博していた握りずしは、在米の日本人相手の商売でした。ところが戦後、1970年代になると、現地のインテリ層が食べるようになります。「生の魚を食べるなんて野蛮」といわれていた当時、医者や学者たちは「世の中には魚を生で食べる文化もあるのさ」と発言し、アメリカ人たちに刺身やすしの味を知らしめてゆきました。1980年代には、握りずしは油を使わないヘルシーな食品として、肥満に悩むアメリカ人に衝撃的に受け入れられました。生の魚を食べることは、もはや誰もが知る「日本人の知恵」「日本食の素晴らしさ」として受け止められたのです。
ただ、受け入れられたのは日本の高級料理の握りずしでした。日本人(または日本人に見える人)が握り、日本風のインテリアが満ちた日本家屋仕立ての店で食べる、これがSushiでした。食べられるのも接待やお祝いの席がほとんどであり、まだまだ日常的ではありません。それが一変するのが回転ずしの登場です。1990年代末にイギリスのロンドンで、ヨーロッパ初の回転ずしのチェーン店が生まれました。これは「皿が回転するコンベアに乗ってやって来る」という商売形態がめずらしかったということもありますが、その皿に乗っているのがあのSushiであって、しかもその価格はそれまでのSushiよりもはるかに低廉だったことにあるのでしょう。またたく間に回転ずしは西ヨーロッパ、やがてはアメリカや東南アジアにも広がり、今や世界中で人気を集めているのです。

フランス・パリの回転ずし屋
フランス・パリの回転ずし屋

今、世界でWashoku(和食)がブームとなり、平成25年には「和食:日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。Sushiも和食の一員、というより「和食の看板」「和食の主役」、そして「世界に誇る和食の宝」として、握りずしは多くの外国人に親しまれています。

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