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新日本すし紀行

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第9回 謎の国・天草 〜南国サーモンの巻〜

謎の国・天草 〜南国サーモンの巻〜

 郷土ずしの取材で、熊本県の天草地方へと出張が決まった。天草なんて遠いところはそうそう出かけることもない。すしの調査はやるとして、ほかに変わったものを食べることはないだろうか? 食いしん坊の私は、さっそく探してみることにした。

 調べてみると、天草市の一部地方でマヒトデという小型のヒトデをゆでて食べることがわかった。こりゃあいいけど、季節も関係するらしい。えぇと5~6月? ベストシーズンじゃん!

 喜び勇んで地元の有名な店に電話連絡をした。ところが、今年はまったく獲れていないらしい。もう一度、天草に行く直前になってからした電話でも、受話器の向こうで繰り返されるのは「今年はダメですなぁ」ばかりであった。

 場所が天草という、私の日常ではかけ離れた土地のこと。今度はいつ来られるか、わからない。せっかくの機会が台無しだ。

天草天草

 天草へ来て、その雄大な自然はすばらしかった。とりわけ美しい島々とそこを縫うように走る架け橋は筆舌に尽くしがたいものであったが、ヒトデを楽しみにしていた私には、ただただ「きれいな景色」にしか映らなかったのも事実であった。

 夕食は「多魯(たる)」という、串揚げの店であった。「なんで天草まで来て、わざわざ串揚げなんか…」と内心思ったが、宿の近くにはこの店しかない。やれやれ…。ビールと、あとは適当に地魚を頼んだ。

カワハギと南国サーモン

最初に出てきたのはカワハギであった。うん、新鮮で、美味ではあるが、なんで九州でカワハギ? その後、食卓に登ったのは、北の冷たい海を連想させるサーモンの刺身。「あのね、私は北海道に来たわけじゃないんだ。九州の天草に来てるんだ。その客にサーモンとはなにごとか!」と、正直、腹が立ったが、実際にはそんなこと、いえない。

 ところが店の女将がいうには、このサーモン、地元・天草の産であるという。なんでもここで養殖に成功したらしい。以下、ネット記事によると、寒い寒冷地では冬場の水温が低すぎて餌食いも悪く、魚が肥えきれないが、有明海の冬場の水は独特な地形と大量の湧き水により水温が適温である。そのため、しっかり肥えきっていて、身自体の脂ののりが全然違う。魚の活きを味わう九州では「サーモンを活魚で食べる」を実現した。それが「南国サーモン」で、ここ数年のうちに料理屋などで普及している、と。

 ほう…、「南国サーモン」という新しい名産品になっているのか。知らなかった…。

南国サーモン南国サーモン

 次に出てきたのが、サーモンの握りずし。もちろん、こちらが地元のすしの取材でやって来たことなどいっていないから、偶然の賜物であろう。うまそうだ。それにしても、サーモンの身が異様なくらい、赤い。これは魚身を赤くする「アスタキサンチン」という、エビやカニの中に含まれている物質が餌の中に含まれているためで、これが養殖サーモンには、大量に与えられている。

 色の濃い、分厚目に切られたサーモンは、口の中でジュワッと脂がとろけてくる。よくある燻したサーモンのすしとは違う、生サーモンのすし。芳醇な味わいである。

 「これ、今シーズンは今日で最後なんですよ」と女将。南国サーモンの流通は3月から5月の中ほどまでしかないという。偶然とはいえ、地元の新しい名物ずしに出会え、まさに滑り込みのセーフで旬の時期に間に合ったのである。

多魯(たる)

 すっかり「南国サーモン」に魅せられてしまった私。ビールの酔いとは違った心地よさに、来た時とは別人のような笑顔になって、多魯(たる)のご主人と女将、青木裕一氏と臣子氏の写真まで撮らせてもらった。

 新しい郷土ずしである、南国サーモンのすし。期待は大である。
明日見る天草の景観は、さぞや美しく目に飛び込んでくることであろう!


お食事処 多魯 〒869-3603 熊本県上天草市大矢野町中10734−1


日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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