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新日本すし紀行

新日本すし紀行

第8回 伊豆で感ずる関西文化

伊豆下田のすし文化

 静岡県の伊豆半島は、日本が誇る一大リゾート地。とくに東海岸部は東京からの利便もよろしく、もはや「首都圏」といってもよい。

 ところが食生活は、というと、なかなかそうともいい切れない。江戸時代以前は関東と関西を結ぶには、東海道や中山道などの陸上輸送と並んで海上輸送も重要だった。その船は、風向きや潮目の変わり目によっては、待機していなければならない。ここ伊豆半島はまさにそのための避難地として、たくさんの「風待ち港」があった。その影響か、こんなに関東地方に近いところにでも、遠く離れた関西の文化が根付くことがある。食文化、とりわけすしの文化もそうである。

 下田市白浜は伊豆半島の先端である。ここにサンマの姿ずしがある。サンマは日本近海を回遊する魚だが、すしは三重県や高知県など西日本で顕著にみられる。おそらく下田のサンマずしも「西」から運ばれたのであろう。今では白浜だけでなく下田市、いやそのまわりにまで分布域を広げ、周辺の朝市や道の駅などでも売られている。

サンマずしサンマずし

 「昔は一般家庭でも作ったんですがねぇ」と話すのは白浜観光協会の会長・鈴木和明さん。このごろは業者の作ったものに頼る主婦も多くなったらしい。困ったものだと思いつつ、サンマずしの作り方のビデオを見せてもらったところ、サンマの下処理から数えると1週間弱もかかる手間。う~ん、これじゃプロに頼みたくもなりそうだ…。

 鈴木さんは民宿も営業する。サンマずしを作るのは妻・容子さん。見学させてもらったのは最後の工程で、できあがったすしをパックに詰めるところ。忙しそうなのに手を休めることはなく、「うちのお義母さんの頃はお祭りの宴会はどこの家も無礼講で、誰でも上がってごちそうが食べられたんですって。サンマずしも銘々の家で作るから、いろんな味があって、それが味わい放題! お義母さんも人をもてなすのが大好きだったんです」と、思い出話に花が咲く。手慣れた調子の容子さんだが、お義母さんはもっと手早く「小骨なんか指だけでちょいちょいって抜いちゃう」のだそうだ。

 容子さんがバーナーに手を伸ばして「あぶりサンマずし」を作り始めると、和明さんは「あぶりサンマずしが売れ始めたのは、ここ数年のことですかねぇ」と語る。しかも出始めた頃は1割程度だったのに、今は4割近くにも伸びているという。「若い人や外国の方には、生臭みが気にならなくなるのかもしれません。でも、生のサンマずしだって、決して生臭くはないんですけどね」と笑う。「とにかく『我が家の』ではなく『白浜のサンマずし』が評判になってくれなければ」と、トータルブランド化に忙しい和明さんである。

サンマずしサンマずし
サンマずしサンマずし

 伊豆半島への入口にあたる熱海市は温泉街で有名であるが、少し南に下るとのどかな光景になる。下多賀地区の梅原久美加さんの家へうかがうのは、私は2回目であった。以前、作ってもらった押し抜きずしと叩き出しのすしを、また作ってもらおうとお願いした。梅村さんは「『お隣さん』と一緒なら」という条件をつけてこられた。「前に作ったときはお義母さんがいて、私はお手伝い程度だったでしょ。今じゃお義母さんも亡くなって、私ひとりじゃ心細くて」と、助っ人を頼んだわけだ。そうか、この家でも押し抜きずしや叩き出しは、過去のものになってしまったのか…。

 ともあれ梅村さんの台所へ行ってみると、私には懐かしい道具の数々が。押し抜きずしの枠は底が抜けた桝のような形をしており、中にすしご飯とを入れて上から押し抜く。叩き出しはすし飯を一口大に握るもので、そこに具も一緒に仕込んでおく。押しをかけたら飯切りの縁などでカンと叩き出してやるから、この名がついた。これらを使ってせっせとすしを作っているのが「お隣さん」の大川あい子さん。梅村さんがなんでも聞ける人生の先輩であるが、「先輩」と呼ぶのも気が引けるほど元気で、かくしゃくとしておられる。「こんな道具、使うのは何年ぶりかしら。今の若い子たちは何に使うか、知らないでしょうねぇ。ほんと、懐かしいわぁ」と、口も若い者には負けないほどだ。

押し抜きずし押し抜きずし押し抜きずし押し抜きずし

 「私はホテルで結婚式を挙げたけど、大川さんの頃は自宅でやったんですって」と梅原さんがいえば、「その頃の披露宴は身内の人、クミ(地元)の人、仕事関係の人と、同じことを3回繰り返すのもめずらしくなかったわ。料理のしたくは隣近所の女性たちが準備するの。だから婚礼の翌日には『オンナシブルマイ(女衆振る舞い)』といって、女性だけの慰労会があるの。そのときに押し抜きずしや叩き出しを作って食べたものよ」と大川さん。「四十九日や一周忌などでも、女たちが集まって念仏を挙げたわねぇ。その時の夜食にも、これを作って食べてたわ」ともいう。「だったら男の人は食べられないじゃないですか」と私。すると「女だからいっぱいは食べられないの。家へお土産に持って帰るから、男だって味は知ってるわよ」と笑われてしまった。

 巻きずしや稲荷ずしとともに盛られた押し抜きずしと叩き出し。目を引くのはおぼろだ。梅原さんも大川さんも「このあたりはサバね」という。生のサバを準備し、ゆでてほぐして、さらに骨取り。「この骨取りが一番、つらいのよ。若い人がやらなくなるのもわかるような気がするわね」と梅原さん。やはり美味しいものは、人の手間が入っている。

押し抜きずし押し抜きずし

 熱海の押し抜きずしも、型枠は関西が起源らしい。そして熱海よりも南下した伊東でも、そのなごりはある。その名も「箱ずし」といい、この箱は関西から来たものである。

 「箱ずしだったら西日本のどこにもあるよ。きっとどこかの箱ずしが流れ着いたんでしょ」という方。ちょっと待たれたい。あなたの知ってる「箱ずし」はしっかり押すでしょ? だから別名を「押しずし」という。しかし、ここのは押さない。

 伊東市新井は、かつては漁村であった。漁村の祭りといえば夏祭り。これに対して山側の農村部は秋祭りのエリアで、双方は互いの祭りの見物などで交流があった。料理も行き来し、この「箱ずし」も行き交う。堀井はつねさんにお願いして、飯島けい子さん、杉山三栄子さんとともに、新井の箱ずしを作っていただいた。主となるのは、ここでもサバのおぼろで、それもゴマサバよりヒラサバ。「味がまったく違うんだもの」だそう。そのほか、煮た干しサクラエビ、玉子焼き、カマボコ、シイタケ、インゲン、酢バスなどを準備する。

 箱は、関西地区の方にはおわかりであろう、底板がはずれるようになっている。そこにすしご飯を詰めて、いったん、軽く押す。次におぼろをはじめとしてさまざまな具を、きれいに並べる。「ふつうの箱ずし(=押しずし)」ならば、これにふたを乗せてからギュッと押しをかけ、ひっくり返して底板をはがす、という工程に入るのだが、ここのは押さない。ふたはあるものの、そっと乗せるだけで、それで押さえつけることはしない。押す必要がないから、具は自由にたくさん乗せられる。また、押さないから、具の色の美しさが光る。さらに、他人に渡すときには、すし箱ごとでなくてはならない。だからこそ、すしが行き交う時にはすし箱が不可欠なのである。

押し抜きずし箱ずし箱ずし新井の箱ずし

 「でも、今の若い人は作らないでしょうねぇ」と、堀井さんたちはいう。「だいたい、若い人は知らないわよ、こんな道具」と、ここでも熱海と同じことばが出た。「今じゃ回転ずしが、安くておいしいおすしを売ってるでしょ? そっちの方が楽だしねぇ」と、飯島さんも杉本さんも相槌を打つ。祭りにすし箱が行き交うことなど、おそらく誰も知らない世の中になってしまうだろう。

 ただ新井地区には宝専寺という寺院があって、冬場には報恩講(ほうおんこう)なる行事がある。その時のごちそうにはこの箱ずしが出るという。「箱が何十個も出てきて、そりゃぁ賑やかなんだから」と3人が声をそろえる。この寺の檀家の方だけには、すし箱を見れるのとすしを味わえるという「ご利益」がある。

箱ずし下多賀地区の梅原久美加さん

 伊東市からさらに南下したところに東伊豆町がある。ここの稲取地区にも西から渡って来たと思われるすしがある。道具は熱海で見た押し抜きずしと同じ形式であるが、とにかく大きい。具はマグロ、シイタケ、玉子焼きに紅白のおぼろ。そのひとつひとつに1合のすしご飯を使う、合計5合ものすしが集まり1セットである。その大きさにだれもが目を見張る、というより、その量にゲンナリしてしまう。だから「げんなりずし」と呼ばれている。

げんなりずしげんなりずし

 このすしは結婚式や棟上げ式に食べる、というか、引き出物としてつけられる。宴会では食べることはなく、みやげに家へ持ち帰って、みんなで分けて食べるものだった。現在でもそうした風習はまだ残るところもあり、地元の人にはおなじみのすしかもしれないが、観光客がみやげに持ち帰るものではない。まぁ、雰囲気だけでも味わってみたいという人には、朝市や町の限られた店で、「げんなりずしもどき」が売られている。私も港近くの早朝市で、紅白のおぼろが乗った、2つ入りのを買った。売店のおばさんは「2つで1合くらいかしら。とうてい『げんなり』するとはいえない量だわね」と、これが本物とは遠いことをにおわせる。

 別説では、「げんなりずし」とは、食べてゲン(縁起)がよくなるすし、ともいう。だからこそ、婚礼や棟上げの時など門出の際にみんなで食べて、喜びを分かち合うのだ、とも。ひょっとすると、食べ物に関するこんないい伝えも、案外、関西の習慣なのかもしれない。だとすると、関西生まれのほかのすしにも、何かいわれがあるかもしれないぞ! よし、まずは…。

 あれこれ考えながら呑むと、酒は実によく進む。今宵のアテは下田市白浜産・サンマずし。絶品だ! すっかり気分がよくなって、さぁ寝ようと思った、その時。思い出した。朝、「げんなりずし」を買っていたんだっけ。あわててカバンの中を見返す。あった…。
 とはいえ、このすし。腹がいっぱいになった酒呑みにはきつい! やっぱり「げんなり」してしまった。


日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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