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新日本すし紀行

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第10回 ときずし・ぶえんずし

ときずし

ときずし・ぶえんずし

 熊本県は宇土半島の先、宇城市三角町に魚のちらしずし「ときずし」がある。そのときどきに手に入る魚を使うすしで、「とき」とは「時」や「旬」の字を当てるらしい。このすしは煮魚の煮汁を白いすしご飯に混ぜるため、ご飯が茶色に染まっているものだ。
 私はこのすしを、以前、ごちそうになったことがある。ただ、その時作ってくださった方はもう故人で、「ときずし」を作れる人を探すため、宇城市役所に電話をかけた。答えは「そら、なんな(それってなんですか)?」。別の課の人にも当たってもらったのだが、いっこうにらちが明かない。それでもある課の女性職員が名前だけは知っていたので、彼女のルートでようやく作ってくれる人が見つかった。いや、「ときずし」を作ってもらうのに、こんなにも苦労するとは思ってもみなかった。

 作ってくださるのは三角町郡浦の古庄元子さん。手伝いの古庄久美子さん、大越良子さんとともに、不知火海を臨む公民館で待っていてくださった。
 作り方は、すしご飯は熱いうちに酢を打っておく。魚は3枚におろし、おろし身は甘酢に漬けておく。今日はスズキを用いたが、白身魚なら何でもよい。しかし元来はこのすしは漁村の料理で、漁師たちのふだんのすしにはコノシロを使った。今も好きな人はよく作るが、反面、クセが強い魚で小骨も多く、ふだんの料理からは遠ざかった。今はスズキやカレイなどの高級魚で作ることが多い。
 またアラはしょうゆと砂糖で甘辛く煮る。その煮汁をすしご飯にあわせるが、これもご飯が熱い時でないといけない。すしご飯にアラ煮の汁が混ざったら、ご飯を冷まし、上に甘酢に漬けておいた魚を置く。青シソ、ゴマを振りかけ、ここに酢または梅酢漬けのショウガをおいて、でき上がりとなる。
 試食タイムには「ときずし」やアラ煮のほか、かまぼこやようかん、ザボンの砂糖漬けなどが並んだ。中身は甘酢で締めてあるスズキだけのシンプルなものであるが、煮汁の中にしっかりとうま味が出ている。青シソがさわやかな香りで包む。具を増やしたら、と水を向けると、「うちげーじゃ(うちでは)、他にゃ何も入れません。これで十分うまかじゃなかですか?」と一蹴されてしまった。

ときずしときずしときずしときずし

 この古庄さんもご存じだったのが料理名人の故・森令子さん。私がかつてお世話になった人である。そのご令嬢の美樹さんから突然の電話があり、今は熊本市に住んでいて、私からの手紙を見るのが遅れてしまった、すしは、母の見様見真似であるが、作ってくださる、という。私にとっては望外の歓びであった。
 会うのは、同じ郡浦にある森令子さんの自宅。赤木水源地というところで、郡浦地区に水を供給している、熊本名水百選にも選ばれた場所にある。ここにある山田水神社は寛政3年(1791)、肥後細川家の家臣、森貞平が建立したのが始まりで、森家はその末裔であった。とんでもない人にすしを作ってもらったわけである。

 美樹さんは熊本市在住の料理研究家で、大学に向けてレシピを紹介してもいる。作り方は古庄さんとほぼ同じであったが、違うのはまずすしご飯で、こちらはご飯が冷めてから酢をあわせる。また魚を3枚におろして身とアラに分けるが、このアラは煮たらその後よく冷まし、骨を徹底的に取って身をさらに取り出す。アラは脂が乗っており、その煮汁も段違いに美味である。ただ、タイやチヌはアラがしっかり出るが、コノシロやヒラでは十分なアラが出ないため、炊くこともない。こういう場合はご飯が白いままであるが、今日の魚はタイであるから、アラはさぞかしうまいであろう。その後、ささがいたゴボウを湯通しし、アラの煮汁で炊く。ゴボウは魚のにおい消しで、どうしてもというものではないが…。
 あとはアラを混ぜ、ゴボウを混ぜ、みじん切りのショウガを入れ、よく混ぜたら酢で締めた刺身を混ぜる。青シソと甘酢漬けのショウガを適宜置いたら完成である。ただこれはひとつの例であって、「『ときずし』は各家庭、各主婦の知恵で、様々な製法があるとです」と美樹さんはいう。

 こちらでも手料理のオンパレードである。だご汁(小麦粉団子の汁物)、スイゼンジナとモヤシのあえ物、豆菓子、そして自家製ヨーグルトにご主人が育てたハチミツと、それだけでもお腹いっぱいになりそうだったが、メインは「ときずし」。うま味が凝集されたアラの煮汁とタイの身。またゴボウの歯触りが心地よい。にぎやかな口の中が、やさしいダゴ汁がスウッと染みてゆく…。なつかしい「おふくろの味」であった。

ときずしときずしときずしときずし

 それぞれに特徴あるおふたりの「ときずし」であるが、共通の悩みがある。それは後継者問題。このすばらしい味を後世に伝えてくれる人がいない。それどころか、役所に問い合わせても、「ときずし」の名前すら知らないという現状である。
 どぎゃんかせなん(どうにかせねばいけない)。

ぶえんずし

 宇城市三角町から先が天草諸島。天草上島には上天草市松島という町がある。ここが「ぶえんずし」の取材先である。「ぶえん」とは無塩、すなわち塩をしていない、新鮮な魚のこと。「ぶえんずし」とは魚のちらしずしのことであるが、魚は無塩。海をまぢかにした漁港に伝わるすしである。ただし、不思議なことに松島町以外ではお目にかからない。
 今回、「ぶえんずし」の調理のお願いをしたのは坂口米子さん。熊本県の「くまもとふるさと食の名人」に認定されている。森本まさみさん、越口富士美さん、田中雅子さんも同席してくださって、さっそく「ぶえんずし」の調理工程を見せてもらう。
 ニンジン、ゴボウ、シイタケ、干しダイコンを薄口しょうゆ、砂糖、みりんで煮る。ご飯はやや硬めに炊き、熱いうちに酢をあわせる。一方、魚は3枚におろして刺身にし、これに塩をしてから甘酢とショウガで締める。15分ほどで味は落ち着くが、1~2時間も締めておく人もいるという。「結局は塩を振るんですねぇ」というと、「そりゃあ、味つけくらいすっとですよ」。なるほど。

 魚は白身なら何でもいいが、この日はスズキ。内輪で作るときはコノシロもよく使ったが、この魚はにおいが強くて、若い人にはきらわれやすい。すしご飯はしっかり熱を飛ばし、冷えたら野菜の具を混ぜてちらしずしにする。その後、すしは飯切りの中で平たく丸く形作られて、押しずしのように、手でペタペタと押しつける。上からゴマとショウガのみじん切り、ねぎの小口切りをかけ、しゃもじで切りつけながら、皿に盛りつける。さすが、鮮やかな手さばきだ。味は、スズキの身が歯触りがよろしい。そしてネギの香りがこれほど爽やかだとは!

ぶえんずしぶえんずし
ぶえんずし天草

 このすしは魚1尾を使うほど、豪快なものである。でも今の若い人では魚をおろせないのでは?と問うと急に声が落ち、「えぇ。それでもコロナ禍の前は、小学校に行って、すしの作り方や魚のおろし方ば教えに行きよったんですが…」。
 ここにも後継者問題があった。早くコロナ騒動の前の状態に戻ってほしいものだ。



日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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