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新日本すし紀行

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第6回 土佐の「田舎ずし」

土佐の「田舎ずし」

 今回の取材先を決める時、候補として高知県が挙がった。豪快なサバの姿ずしを中心に、タチウオやヒメジの棒ずし、ノリ巻きずしやコンブ、玉子焼きの巻きずしなどのほか、カツオのたたきやフルーツ、デザートまでをも盛り合わせた「皿鉢(さわち)料理」、とりわけすしをメインにした「すし皿鉢」が有名だからである。 そうした「海のすし皿鉢」に対して、山間部には「山のすし皿鉢」というものがある。昔は、山あい地方には海の魚は入ってこないから、代わりに畑や山の産物を使ってすしの盛り合わせを作った。それが近年、「田舎ずし」の名で、世にブレイクしているという。 だったらこれを題材にしよう。というわけで、今回は南国土佐の「山のすし皿鉢」、というか、「田舎ずし」をめぐってのすし紀行である

 私は高知への旅は初めてではなく、もう7~8回は行っているのであるが、いずれも一人旅ばかり。だから大皿に盛った土佐料理は縁がなく、「すし皿鉢」も、聞くばかりで食べたことがない。
 それが今回は、ある人の紹介で「オキャク」の真似事ができた。「オキャク」とは宴会のこと。にぎやかなことが大好きな土佐っ子らしい習慣だが、もはやこれはひとつの文化といってもよい。
 私たちを招いてくれたのは、土佐学協会の竹村昭彦さんと長崎雅代さん。竹村さんは土佐の銘酒・司牡丹の蔵元さんでもある。お二人のご尽力で、高知市内の料理屋で「山のすし皿鉢」を特別に出していただいた。板長さんは「私も初めて作りました」のことだが、アマダイだけが海のもので、あとはすべて野菜類。しかも、よく見かける「田舎ずし」ではなく、板長オリジナルなものも含まれている。ぜいたくな「田舎ずし」である。
 それをいただきつつ、土佐の銘酒もいただきながら、私たちは「オキャク文化」を楽しんだ。いや、実際には「オキャク文化の、ほんの入口」ていどであったろうが、私はすっかりこの文化のとりこになってしまい、二次会にまでご一緒してしまった。

山のすし皿鉢オキャク 司牡丹

 高知市には毎日曜日、市場が立つ。私が高知を訪れた日は平日で、日曜市はなかったが、大丈夫。平日でも小規模ながら、市がある。オキャクに呼ばれた翌日の朝、私は木曜市の会場まで出かけた。朝6時半であったが、すでに20軒ほどの売り場が出ていた。
 その中に必ずあるのが、すしの売店。売店といっても市内近郊の人が、テントを張って自作のすしを売っているだけの簡素なものだが、木曜市にも1軒あった。中を見ると、「田舎ずし」がパックに詰められて並んでいる。今日はこれから「田舎ずし」を作るところを見学に行くのであるが、こんにゃく稲荷ずしを買ってしまった。だって、あまりにもおいしそうだったから…。

木曜市田舎ずし

 高知市から電車で40分で須崎の駅に着き、そこから車で20分。津野町へと行く。ニホンカワウソが最後に見られたという新庄川が流れる町である。ここの久保川生活改善グループの皆さんが、本場の「田舎ずし」の作り方を見せてくださるという。「え? 『田舎ずし』って全県にあるが、『本場の田舎ずし』ってどういうこと?」と思ったが、その謎解きは後回し。グループ員3人による実演が始まった。
 すしご飯はユズ酢と酢の混合である。ユズ酢とは、高知県の方ならおわかりのことと思うが、ユズのしぼり汁のこと。高知県人は何かあるごとにこれを使い、すしにだってユズ酢だけで作ってしまうことだってある。

田舎ずし田舎ずし

 笹岡三栄さんは細長いご飯の棒に、黄緑色のものを乗せて押しずしを作っている。「これはリュウキュウゆうて、ハスイモの葉柄を酢で締めちゅうがよ。ご飯が熱いとリュウキュウの色が変わってしまうきに」。ハスイモは一見するとサトイモと変わらないが、サトイモのようには芋ができない。「ほんじゃき、イノシシと競争ながやき」と笑う。
 続いてはタケノコで、こちらはよく煮てある。開いて、リュウキュウと同じく押しずしにしたかと思ったら、先の方は丸いまま、節を抜いてあるものも準備してある。「ご飯を詰めるがよ」だそうである。
 シイタケは甘辛く炊いて、表面に×印の傷をつける。真っ赤に染めてあるのは酢締めしてあるミョウガで、さらにシソ酢に漬けてある。これらは握りずしの具で、笹岡玉寄さんと岡崎幹子さんが手早く握る。
 最後はコンニャクの稲荷すしで、よく煮たコンニャクを切って三角の袋にしたものにご飯を詰める。「これはご飯を詰めるときに、キュッと力を入れんといかん。コンニャクを持ち上げりゃあ、ご飯がするっと抜けていくきに」とは三栄さんの弁。「私の入れ方じゃあいかん。こんなんやも」と玉寄さんがコンニャクを引き上げ、中のご飯が抜けそうなのを見せて嘆く。笑いの絶えない、なんとも楽しい仲間たちである。

田舎ずし久保川生活改善グループ

 ひとつひとつでも美しいすしだが、大皿に盛り合わせれば、ミョウガの赤、タケノコの黄、リュウキュウの緑、シイタケの黒、そしてご飯の白とがあい混ぜになって、もっと派手になる。さらに目を引くのは、三栄さんの作ったハラン。なんと、ミツカンのマーク入りである。これをすしの中央に盛りつけて、「特製、ミツカンの『田舎ずし』」の完成である。
 しかしどうしてこれが「本場の田舎ずし」なのだろう。
 会長を務める岡崎さんがいう。彼女らの先輩が、あるコンクールですしを作ろうとした時、自分たちの町は山奥だから、海魚がいない。だけど祭りや人寄せの時に食べるすし料理がある。だったらそれを自分たちのすしとして作ろう、といって、たくさん種類がある畑や山のすしの中から5種類のすしを選び出して作ったのがこのすしの原点である。
 名前はどうしよう、となった時、「『田舎ずし』でえいがやないが」と誰かがいった。つまり、今は全県的に知られている「田舎ずし」は、この地区から生まれたのである。納得! 

田舎ずし高知県津野町の「田舎ずし」

 山のすし皿鉢の話でこれだけネタがあるとは、自分でもびっくりしている。筆がサラサラ走るのであるが、ん? だれかの視線を感じるぞ。なんだ、この寒気は?
 「もしネタに困って、書きたりなくなったら、サバのすしの話でも書くか」と、土佐清水でサバの姿ずしを買った。「いや、大丈夫。『田舎ずし』だけで十分だぞ。キミの出る幕はないよ」とばかり、サバずしをパクつきながら原稿用紙を埋めた。残ったのは頭と尻尾の部分だけだ。
 私に投げかけられた冷たい視線は、サバずしの頭の目玉からであった。

サバずし

日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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