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新日本すし紀行

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第11回 加藤清正の置き土産〜熊本の馬の握りずしの巻〜

熊本の馬の握りずし

 私と馬肉には苦い思い出がひとつある。それは大学時代、ほんのわずかであるが、馬術部に籍を置いていた時のことである。そのコンパ(今の人にはわかるかなぁ、宴会)の席上、かつて厩舎が大火事に遭い、馬が何頭も死んだ、という話を聞かされた。涙を浮かべて話す先輩たちに向かって、酔っ払った私のひと言が「あたりは、さぞや美味しい匂いがしたんでしょうねぇ」。もちろん、先輩たちは猛激怒。「かわいい馬を食用に見るだなんて」と思われたのであろう。ほどなくして私は馬術部を辞めたが、以来私には、馬肉を食べたいという気持ちは、それほどなかった。

 しかしながら、熊本へ行くとなれば話は別だ。熊本の食用馬肉は生産量・消費量ともに日本一を誇る。ここに来れば誰もがおいしい馬肉の握りずしを食べたいと思うのも当然であろう。このたび、私は熊本市に立ち寄る機会があった。市内観光をしている時間などなかったが、その忙しい中、馬肉握りを食べに行こうと考えた。馬肉料理が盛んなところだ、きっと熊本には馬肉握りを楽しめるところはたくさんあるに違いないと、気軽に考えていたのである。

 ところで、熊本の馬肉食の発祥には諸説あるが、今から400年ほど前の、豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳しずがたけの七本槍の一人、加藤清正へとさかのぼる話は有名である。彼が朝鮮出兵した際、朝鮮半島で食料がなくなり、しかたなく軍馬を食べたところ、大変おいしかったので、帰国後も馬肉を好んで食べたのが始まりといわれる。

 馬肉には解熱作用があって風邪に効くうえ、患部に貼る治療薬としても活躍した。また、江戸時代に入ると、薬膳料理として提供された。さらに、阿蘇山の裾野は、馬の放牧に格好の場所であった。当時、軍用、交通上、また農耕に欠かせないものとして馬があり、その肉を食する文化が根づいていったのであろう。

阿蘇の山々阿蘇の草原加藤清正公

 口に入れるとふわりととろけてしまいそうな味を食べるぞ!と意気込んだのも束の間。熊本駅に着いたのはランチタイムを越えた午後3時頃である。調べておいた店は、どこも昼の休憩中ばかり。ようやく見つけた店にタクシーで乗りつければ、「今日はスタッフがいなくて、今からの営業はちょっと…」とのこと。嗚呼…。

 呆然としていたところに、店の前を掃除していた、別の店のご主人が現れた。この店「三村」もまだ営業時間ではなかったが、事情を話すと「それなら」と連れて行ってくれたのが海鮮浜焼きが名物の「大庄水産」という姉妹店で、熊本という土地柄おすすめメニューには馬肉料理、馬肉握りもある。

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 そして出てきたのが馬肉の握りずし。赤身、ロース、ヒレ、フタエゴ(お腹の下あたりの肉で、馬1頭から少ししか取れない希少な部位)、タテガミに、炙り肉の巻き物と、総計6種がずらりと並んだ。いや、圧巻!味は、もちろん全部が美味しかったが、私はヒレの握りの味の虜になってしまった!やわらかくて、とろけてしまいそう…。

馬肉の握りずし

 「大庄水産」と「三村」とに感謝しながら熊本駅に着いたのが午後4時台であった。まだ時間が少し残っているので駅ビルをぶらぶらしていると、そこには天草の地名を冠したすし屋がある。でも私のお目当ては鮮魚じゃなくて…、と行き過ぎかけると、メニューの中に「馬」の文字が見えた。まさかと思って聞いてみると、「馬肉ですか?えぇ、ありますよ」という、あっさりした返事が返ってきた。ここは一番、食べてみよう!

 というわけで、本日2回目の馬肉の握りが実現した。霜降りに赤身、トロ肉の軍艦にユッケの軍艦。この味も、先ほどの馬肉握りとは違う観点で、すばらしい!!

メニュー馬肉の握り

 短い時間ではあったが、十分に馬のおいしさを堪能できて、ホクホク顔の私であった。だが、駅ビルの中にも、妙な時間帯でも馬肉が楽しめる店はあるわけだ。にもかかわらず、私はタクシーを飛ばして店まで行き、しかもそこは入れなかった。まぁそのおかげですばらしいお店が発見できたのであるが、ずいぶんと遠回りした感もある。
 これってまさか、私が馬術部にいた頃に聞いた、厩舎の火災で焼け死んだ馬の祟りではない、よねぇ…。



日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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