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新日本すし紀行

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第14回 山陰地方、海と山のサバずし

山陰地方、海と山のサバずし

 山陰地方の名物にサバずしがある。波荒い日本海で身の締まったサバは、ほどよく酢締めされ、すしとなって、家庭の食卓を豊かにする。 その作り方は多くの書籍やメディアに紹介されており、サバを酢で締め、すしご飯を作り、両者を合わせてすしにする、というのが基本。ただ、肝心のコツや酢加減となると「作り手によっていろいろ」とニベもない。

冬の日本海(島根県日御碕)ナマのサバずし(島根県出雲市)

 ここでは、ちょっと特殊なサバずし「吾左衛門鮓」をご紹介したい。いや「特殊」というにはあまりにも失礼で、検索サイトで「山陰地方 サバずし」と入力すれば真っ先に出てくる、鳥取県米子市のすしである。米子の駅弁として超有名であるが、なにより、今のように「山陰地方のサバずし」が有名になる前から、山陰・米子のサバずしを世に出していた。

ナマのサバずし「五左衛門鮓」(鳥取県米子市)「五左衛門鮓」の米吾のみなさん(鳥取県米子市)

 江戸初期から続く廻船問屋「米屋五左衛門」。その五代目は舟子たちの安全を祈って、日持ちがするようにすしご飯をにぎり飯にし、酢で締めたサバを乗せてワカメで巻いた弁当を持たせた。昭和54年(1979)、十三代目はこの弁当を参考に、「吾左衛門鮓」を開発。ご飯は島根の県産米で、甘めにあえてある。脂の乗りがよい肉厚のサバは、しっかりと酢で締めてある。それを、ワカメから換えた北海道産のマコンブで巻く。従来のサバずしからさらに発展させたものを世に定着させた。なお、「吾左衛門鮓」はナマっぽくないのが特徴である。そこには味にこだわる老舗の自信がある。

 誰もが持つ疑問。サバの上のコンブはどうするか。米吾営業部の金田愛衣さんによると、一緒に食べてもまったく味を阻害しない。だから、サバと一緒に食べてしまえばよい。コンブがすしに馴染んでいるように、ちゃんと考えて味つけされている。捨ててしまうなんてとんでもないのである。

 さて、話は山の中、島根県雲南市へと入る。斐伊川と三刀屋川の合流点で、ここから先が「奥出雲」と呼ばれる。このあたりでもサバずしが作られる。ただし、それはよく見る「ナマ」のサバずしではない。

 サバずしはそれ自体が保存食であるため、海浜部よりもやや内陸に入ったところでよく作られる。京都市のサバずしがよい例で、あちらでは若狭の塩サバをすしにする。京都市街まで運ぶ時間で、サバがちょうどよい塩加減となるのである。山陰地方でも、ナマのサバずしは海から少しばかり離れた地域のものである。しかしながら、ここ奥出雲のサバずしは焼きサバを使う。今では焼きサバのすしといえば姿ずしばかりが大勢を占めるが、昔は1匹を使うなんて贅沢。だからこの地方では身をバラバラにほぐして使った。さらに野菜類も入れ、一緒にすしご飯に混ぜ合わせる「ばらずし」がここの名物である。

はせがわ鮮魚店の長谷川典子さん(島根県雲南市三刀屋)はせがわ鮮魚店の焼きサバのばらずし

 雲南市三刀屋にあるはせがわ鮮魚店の長谷川典子さんは、兵庫県から嫁いできた。こんなすしがあるなど嫁に来るまで知らなかった典子さんだが、一度食べたらそのおいしさに開眼。以来、お義母さんとふたりで店で売り続けてきたものだが、今では典子さんだけで店を切り盛りする。「私、ペーパードライバーだったんです。都会じゃあ、あんまり車なんて乗らないでしょ? だけどこっちじゃ車なしの生活なんて考えられない。今朝も、20分かかる山道を登って、道の駅までサバずしを運んできたんです」と笑う。

焼きサバを作る(はせがわ鮮魚店)はせがわ鮮魚店の焼きサバのばらずし

 具は焼きサバのほぐし身に、甘く煮たシイタケ、ニンジン、カンピョウ。上からは海苔、錦糸玉子、甘酢ショウガを散らす。少しひかえめに具が混ざっていて、とてもやさしい味だ。これを油揚げに詰めて錦糸玉子、海苔、ショウガを添えた稲荷ずしもある。

 焼きサバに旬はない。すしは農休みの時、盆の時、来客の時など、時を選ばず、もてなし料理として作られたが、今は自作する人も少ない。「春にはサンショウの若い芽やタケノコが生えるでしょ? そういう時は独特の味わいが出てくるんですよ」。焼きサバを焼きながら、典子さんは忙しそうに働いている。

石田魚店の石田裕貴さん(島根県雲南市木次)石田魚店の焼きサバずし

 雲南市木次の石田魚店にも焼きサバのすしは売っている。「予約していただけば、サバずしを駅まで届けますよ。ひとつからでも大丈夫です」とホームページで呼びかけるのは、この店の若大将の石田裕貴さん。こちらの具は焼きサバ、シイタケ、ニンジン、玉子焼き、カマボコ、ゴマで、長谷川さんのところよりも味つけが濃い感じがする。また太巻きずしもあって、焼きサバをほぐしたもののほか、玉子焼き、キュウリ、ショウガ甘酢漬け、ゴマ。芯の中のほぐし身が力強い味を出している。

石田魚店の焼きサバのばらずし左:石田魚店(巻きずし) 右:はせがわ鮮魚店(巻きずし・稲荷ずし)

 それにしても、なぜこんな山の中でサバのすし? 石田さんは「木次はサバの限界地」という。「ここまではサバをナマで持って来るんですが、ここから奥へはサバが傷んでしまいます。そこで、ここで塩サバや焼きサバに加工して、奥出雲地方へと運んだんです」。それゆえ、木次はかつて「山の中の網元」と呼ばれた。昔の賑やかな雰囲気が伝わってくる。

山深い木次駅食事処奥井の焼きサバのばらずしの材料焼きサバはほぐしてから酢をあてる

 雲南市木次の食事処おくいは創業60年を超える店で、モツ丼やオムライスが超人気の料理店である。ここは30年ほど前に、なにか地元の名物を出したら、という街の要請に応えて、地元にある焼きサバのばらずしを売り出そうと考えた。ただ、ふつうの家庭で作るものとは差別化を図りたいと、新しい工夫も取り入れた。結果、できあがったのがこのすし。多くの人が焼きサバずしの味を忘れかけていた頃であったが、このすしの誕生で、みんなが昔の味を思い出したという。

 ご飯はダシを使わずに炊き、熱いご飯に酢をあてる。続いて木の芽(サンショウ)を細かく切ったものを入れ、焼きサバをほぐしたものに甘酢を打ち、さらにカマボコの細かく切ったもの、甘煮シイタケの千切り、甘煮タケノコのサイコロ切りを入れる。最後に焼きたての海苔も揉んで入れ、一気に混ぜる。上に錦糸玉子、桜形の酢ダイコンで飾りをして、完成である。

食事処奥井の焼きサバのばらずし食事処奥井の焼きサバのばらずしセット 右はセイコガニの味噌汁食事処奥井のみなさん(島根県雲南市木次)

 当主の奥井健功さんは「味が甘酸っぱいけん、口に合うかどうか」と心配そう。「合わせ酢が甘いでしょう。でも、これが飯に混ざるとうまいんですよ」。完成したすしをごちそうになると、酢の甘さがサバの塩味に薄らぎ、ほどよい味となっている。たしかに都会の握りずし屋の味に比べると甘いが、それだけに、家庭の懐かしさが漂ってくる。また、奥井さんは国産のサバを使う。「ノルウェー産のサバは脂が乗っていてうまいんだけど、すしにすると…」とことばを濁す。「国産のは青臭いんだが、それがすしには合うと、私は思うとるんですけどねぇ」。だが、今ではすしにする国産サバは、超高級魚になってしまった。

 奥井さんはこうもいう。「サバは貴重なたんぱく源。骨に残った身をはぎ取ってまでして、大事なサバを食べたんですね。それを、すしご飯に混ぜた。大切な1匹をみんなで分けることのできる料理だったんでしょう」。

 同じ「サバのすし」でも、海辺と山中ではこんなにも違うものだ。それぞれの地域で、それぞれのすしを味わってみるのもおもしろい。その楽しみをわたしもやってみたいものだと、いろいろサバずしを買い込んで、帰途についた。とくに脂の乗る冬の寒サバは、特にサバずしがうまい。

 ただ、買いすぎた…。出雲のすし取材から3日がたっても、まだうちの冷蔵庫にはサバずしのパッケージが…。でもまぁ、サバずしは酒の相手には最適だから、よしとするか。今夜は米吾の「吾左衛門鮓」に乗ってるコンブを肴に一杯やって、下のサバずしを最後のシメとするか。



日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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