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新日本すし紀行

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第5回 幻のオカラずしを求めて ~南四国編~

幻のオカラずしを求めて

 ご飯代わりにオカラを用いる「オカラずし」は全国的に見られるが、とくに西日本、それも瀬戸内周辺に分布が濃厚である。比較的よく知られているのが、愛媛県東予地方の「イズミヤ」。かつて別子銅山の開発をなした住友の屋号が「泉屋」で、その本拠地を思い出させる味だったのであろうか。すしの名前にまでなってしまったようだ。

 高知県にも「オカラずし」はある。高知市ではオカラのことを「オタマ」と呼び、それをすしにしたものを「タマずし」と呼ぶ。試しに高知市の観光部局に尋ねてみると「はい、たしかに『オタマ』と呼びますよ」とのこと。しかし、そこからがいけない。「あの、私、普通の観光客なんですが、どこへ行ったら食べられます?」と聞くと、「え? はい…、あの…、ちょっとお待ちくださいね」の声と保留の音楽が3分ほど。そして「すみません。こちらの方ではお答えしかねます」の返事。たいていのところは、これで終わりであった。

 南国市、安芸市でも聞いたが、実際に食べさせてくれる店は見つからなかった。ここらあたりでは、大手スーパーにも尋ねてみたが、同然であった。それでは西はどうだと須崎市、四万十市、土佐清水市で試してみたら、こちらは四万十市で「ええと、どこだったかしらねぇ、私、買ったことがあるんだけれど」という声が1本、引っかかった。それでも「思い出せないわ。わかったらすぐお知らせします」との答え。こんな時は、まず返事など期待できない。

 つまり、ここで私が出した結論は、今の高知県では「タマずし」は作られていない、であった。

高知駅前に立つ幕末土佐の三偉人

 別のすしの取材で、津野町の生活改善グループの会長と打ち合わせをしていた際、不意に「タマずし」の話が出て、「まさか、お宅のグループで『タマずし』を作るなんて方、いらっしゃいませんよねぇ?」と問えば、「うちの長老がこじゃんと(見事に)うまいですき」とひとこと。「なんなら今度すしを作る際に頼んでみましょか?」という。

 その人とは、久保川生活改善グループの「さえちゃん」こと笹岡三栄さん。「長老」というには早すぎるご婦人で、「さえちゃん」と書いたネームプレートが愛らしい。その「さえちゃん」はオカラを炒り、ユズ酢と酢で味をつける。「あとはショウガのみじん切りと白ゴマ、そしてユズの皮。この頃は冷凍庫があるき、便利よね」。粗熱を取ったら、これを酢で締めたウルメイワシの腹に詰める。ウルメをさばくのは必ず手で、包丁などは金属臭くなるから使わない。「はい、できあがり」と「さえちゃん」は造作なく答える。

 岡崎幹子会長に「タマずし」の作り方を聞くと、「いえいえ、あたしゃぁ人によう教えん。今日みたいな機会に、皆さんと同じゅう勉強さいてもらいちゅうがよ」。生活改善グループの会長ですら、「タマずし」の製法は、日常から遠くなってしまったらしい。

高知県津野町の「タマずし」作り高知県津野町の「タマずし」

 半ばあきらめていた四万十市から、先の電話の返事があった。「思い出しました。愛媛県の…」。「いえ、高知県ではないのですか?」と問い詰めたら、少し考えて「あるかどうかわからんけんど、道の駅のミニチュア版みたいなところやったらどうやろ」とのこと。電話をかけたら、「ありますよ。1パック、200円ですが」と、力が抜けるほどあっさりとした応対。後日、ここを訪ねた時、聞いてみると、「昔は誰やち(誰もが)作りよったけんどねぇ。今じゃ、こういうところに売りゆうきに(売っているから)、自分じゃあ作らんようになってしもうたがやろうねぇ(作らなくなってしまったんでしょうねぇ)」。つまり、作る人は減ったが、食べる人は案外、減っていないという状況である。

高知県四万十市のスーパーで買った「ろくやた」

 ちなみに、それより南の土佐清水市では、オカラを使うすしなど存在しないという。また四万十市の旧・中村市内では、これを「ろくやた」と呼ぶ。「ろくやた」とは、平安末期に実在の、保元・平治の乱で源氏に味方した武将の岡部六弥太忠澄に由来する。一方、豆腐やオカラのことを女房ことばで「お壁」。豆腐の表面の白い様子が壁を思わせたのであろう。オカラ=お壁=岡部=六弥太、の連想から、オカラのすし=「ろくやた」の名が取られたことになる。

3代目歌川豊国筆、岡部六弥太3代目歌川豊国筆、岡部六弥太

 さて、高知県から愛媛県に入っても、オカラずしはある。宇和島市周辺の「丸ずし」である。こちらはあらかじめ市役所の草木原かおりさんに依頼しておき、宇和島市食生活改善推進協議会の方々に「丸ずし」の調製をお願いした。当日は、井関恭子会長以下、岡島みやこさん、山﨑優子さん、楠勝美さんらが駆けつけてくださった。

宇和島市食生活改善推進協議会の方々丸ずし調理

 今日の魚はアジ。ふつうは小さなゼンゴアジを用いるが、今日のアジは小アジ。ゼンゴアジよりも大きい。
「魚はホウタレ(カタクチイワシ)のほか、キビナゴや小ぶりのカマスでもええんよ」と誰かがいえば、「私はアジの方が好きやけど」と誰かが応ずる。すると「あら、私はホウタレやね」と合いの手が入る。ここでも、飾り気のない女性たちの会話が楽しい。
アジを3枚におろして塩を振る。しばらくすると水気が出て、塩でアジの身がしまる。これを酢で洗って、別の酢に浸ける。ゼイゴ(しっぽ近くの、固い皮の部分)もやわらかくなって、手でするりと取れてしまう。

 オカラはよく炒って、そこにネギ、ショウガのみじん切りを混ぜ、酢と砂糖と醤油で味をつけて、また炒る。オカラがパサパサにならないかと心配したが、「酢や醤油でベタベタするけん、水気を飛ばしよるんよ」。私たちも試しに、できあがったのを丸くするのをやらせてもらったが、パサパサではなく、それでいてベタベタでもなく、絶妙な触感であった。

丸ずし調理丸ずし調理

 オカラを丸めてアジを乗せ、かわいらしいすしが次々と出てくる。本当は、オカラの大きさに対して魚の大きさはどれだけ、っていう具合があるそうだが、それもあれこれいいあって、はっきりとした答えを聞く前に、すし作りは終わってしまった。ま、いいっか…。

丸ずし宇和島市役所・宇和島市食生活改善推進協議会の方々

 「このおすしは、いつ作るんですか?」と質問をしてみたところ、「え? おすしですか? まぁ、昔だったら結婚式とかお祭りで…」と、どうにも煮え切らない返答。「だったら、このおすしもそうですね?」「あぁ、丸ずしですか。それは特別なもんやなくって、いっつもやけん」。「???」

 あとあと聞いてみてわかったのだが、この地方では、「丸ずし」は「すし」として扱われてはいない。ご飯と魚で構成される「すし」は、宴席では歴とした主食なのだが、「丸ずし」は単なるお惣菜。また、軽いおやつでもあるし、オキャク(宴会)料理の「鉢盛料理」にも盛りつけられる。いつでもどこでも食べられて、人々に愛されてきたのであろう。

 しかし、昨今は作る人が激減したそうである。私は勝手に「そうやって、ひとつの文化が消えていくんですねぇ」と感想をもらしたら、「それ、魚屋さんに売っとるよ」。ありゃりゃ。「自分で作らんよなったけん、お店の味が大事になるんよね」と、居合わせた人々は口をそろえる。 「味つけにはこだわりがあって、今やったら減塩なんやろうけど。宇和島は高血圧の人が多いんよ」とは草木原さん。「やけん、なんでも薄味にしていかんと…。『丸ずし』もおんなじなんよね」。

 帰り道に、町のスーパーに寄ってみた。アジの「丸ずし」とイワシの「丸ずし」が売っていた。よしよし、しっかり地元に定着しているな。 最後に取材を無事終えて、郷土料理屋へ。そこのメニューにも「丸ずし」がある。こちらはサヨリの「丸ずし」であった。
「丸ずし」はしっかりと地元に根づいた料理だと思い知らされる旅であった。

愛媛県宇和島市のスーパーで買ったイワシの「丸ずし」愛媛県宇和島市の郷土料理の数々。一番左にあるのがサヨリの「丸ずし」

ご家庭で楽しむ おからのお寿司

日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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