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新日本すし紀行

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第15回 鳥取県弓ヶ浜の稲荷ずし事情

鳥取県弓ヶ浜の稲荷ずし事情

 もうすぐ「初午(2月の最初の午の日)」である。稲荷大神が京都伏見の稲荷山に鎮座した日が和銅4年(711)の「初午」の日だったといわれ、それゆえ、この日に稲荷ずしが食べられるようになったという。

 稲荷ずしといえば、今から10年も前だろうか。松江のコンビニで「いただき」と銘打った、大きな稲荷ずしのようなものを買った。食べてみると、中のご飯が単なる五目ご飯だ。まぁ、ご飯に酢を使ってなくとも「〇〇ずし」と呼ぶ例はある。高菜の漬物で巻いた「めはりずし」がいい例だ。だから、「いただき」もその仲間だと思っていた。

 ところが、「いただき」はすしではない、との声が、「いただき」の地元・鳥取県弓ヶ浜地方で起こっているという。これは全国の郷土ずしを調査する「すしラボ」の一員としては見逃せない、由々しき事態である。とりあえず現地の「稲荷ずし事情」を聞くことにした。調べてみると、「いただき」を鳥取県内外に広めるPRをおこなっている「いただきがいな隊(「がいな」とは「大きい」という意味)」がある。そこの会長・松原毅さんと、まずは電話で連絡を取った。

 私「そちらの方には『いただき』という稲荷ずしがあるそうですね」
 松原さん「『いただき』と稲荷ずしは別物です」
 私「だって煮た油揚げの中にご飯が入ってるんでしょ?」
 松原さん「いいえ、『いただき』はナマの油揚げに米を入れて炊くんです。それに、大きさだって、『いただき』の方が、断然、大きいんです」
 私「でも、稲荷ずしもあるんでしょ?」
 松原さん「あるにはありますけど、ここらあたりじゃ『いただき』の方が有名ですよ」

 それじゃあ弓ヶ浜地方の稲荷ずしが、あまりにもかわいそうではないか。私は妙な律儀さを持って、現地に赴くことにした。

 鳥取県境港市。ゲゲゲの鬼太郎の作者・水木しげるの故郷として有名な町で、松原さんが指定した場所である。待っていた松原さんに紹介されたのは、「こめや産業」社長の浜田貴年さんである。いただいた名刺には仕出しと総菜製造販売のほかに「いただき(ののこめし)」と印刷されている。ここが大々的に「いただき」を作っている会社らしい。さっそく、その作り方を見せていただいた。

「こめや産業」 浜田社長と「いただきがいな隊」松原会長いただきの作り方いただきの作り方

 油揚げ(三角の薄揚げ)の左右を空けて切る。ニンジンは細かく切り、ゴボウはささがきに、干しシイタケはもどした後に細かく切る、などして、米と混ぜる。油揚げに詰め、爪楊枝で止める。鍋に入れ、しょうゆと砂糖とで味をつけ、落としブタをした後、煮る。途中で、ツツキ(箸でつついて、煮汁の上面に上がってきた油揚げを下に落とす。こうすることで油揚げの中の空気を抜く)をおこなう。しばらくすると落としブタを取り、火も消してしまう(種火だけにする)。この工程をムラシといい、味をなじませる。最後に爪楊枝を抜き、その部分を折り曲げて止める。手際よく作業を進めるのは、おばさんたちが手慣れているからだろう。「ほら、これからツツキだよ。写真を撮るんでしょ? 早く撮らんといけんよ」と、こちらの方が怖気づくくらいの元気のよさである。

油揚げ油揚げに詰める

鍋に入れる煮る

 できあがった「いただき」を見て、まず思ったのは、とにかく大きい。写真で知っているのとはまったく違う。こりゃ、とても稲荷ずしとはいえないなぁ。参考までに、となりに稲荷ずしを置いてみた。大きさの違いは一目瞭然である。浜田さんによれば、「いただき」は切らずに手で持って、がぶりと噛みつくように食べる」のが筋らしい。

「いただき」と「稲荷ずし」を並べると大きさの違いが分かる

 ところで、この地方の人は「初午」の時に「いただき」を食べるのであろうか。もしそうであれば「いただき」は稲荷ずしの仲間なのだが…。数人の「いただき」関係者に問うたところ、全員が「No!」であった。これで「いただき」は稲荷ずしとはいえないことが明らかになった、と思いきや、鳥取県神社庁によると、「このあたりじゃ『初午』の日に特定の食べ物を食べるなんて聞きませんわ」。弓ヶ浜地方はもちろん鳥取県でも、「初午」の日に稲荷ずしを食べること自体、しないらしい。あららら…。

 もともと「いただき」は、明治中期頃、境港にある寺の住職が福井県の寺と行き来があったことに端を発する。彼の地で精進料理として出された油揚げを大変気に入り、持ち帰って米や野菜を詰めて炊いたのがはじまりだそうだ。昔は米が貴重だったため、少量の米でお腹一杯になるよう、たくさんの具材を入れた。そして、漁師や農民の弁当や、農休みや養蚕の掃き出しなどの時期にも、各家庭で作られ、近所に振る舞われた。具材、味付け、つくり方などは家庭によって異なり、親から子へと受け継がれる郷土料理として地域に定着していったが、衰退は激しかった。今は給食などでも出て、小さい子でもなじみがあるが、40代の間では「なに、それ」という人が多い。

 「作るとき、コチが出ないようにしていますが、出るとかえってお年寄りたちが喜ぶんです。昔、自分たちが『いただき』を作っていた頃、自分もコチを作ってしまったことを思い出すんでしょうね」と浜田さん。コチとは、煮汁が不完全にしかまわらず、ご飯が部分的に白くなって残ることをいう。また松原さんは「昔は爪楊枝でトントンして油揚げに小さな穴を空け、煮るとき味が均一になるようにするとか、湯抜きして油分を抜いてやるとかしたんです。お年寄りの中にはそうする人もあったと聞いています。でも、僕らは『いただき』を残すことが大切ですから、若い人には、そんな面倒なことまで強制しません」と苦笑する。

いただき

 それにしても「いただき」とは変わった名前である。その名の由来は諸説あって、「特別な行事の時に近所に振る舞うごちそうであり、『いただく』という感謝の気持ちから『いただき』という名前がつけられた」とか、「形が中国地方最高峰の大山(だいせん)の『いただき(頂上)』のかたちが似ている」とかいわれている。また、別名「ののこ飯」ともいう。「ののこ」とは「布子」の訛化で、綿入れの着物のこと。そのようにふっくらしていることからきているといわれている。呼び方は半々らしい。

 「でも、僕は『ののこ飯』という名前は嫌いなんです」と松原さん。「かつて僕は大阪で『ののこ飯』と名乗って売られてるのを見たことがあるんです。でも、そいつは煮た油揚げの中に五目飯を詰めてるあるの。だから僕は『ののこ飯』とは呼びたくないんです」。

 忘れてた。大きさのほかに油揚げとナマ米を炊くか、五目ご飯を詰めるかの問題があった。ナマから煮たものか五目ご飯を詰めたものかは、食べてみればすぐにわかる。「いただき」は手に持つと煮汁がジュワーッと染み出てくるほど汁気が多い。で、中のご飯はもっちりとした食感である。松原さんも浜田さんも「『いただき』は材料を入れた油揚げを煮るもの。絶対に五目ご飯を詰めちゃいけないよ」と、譲らない。

 松原さんは「稲荷ずしがないわけじゃないですよ。でも、あまりにもふつう過ぎて、地元じゃ郷土料理の認識がないんです」という。私は「参考までに」と準備してもらった稲荷ずしを食べた。心なしか、酸味が強い。その酸っぱさは、郷土料理としての居場所をなくしてしまった稲荷ずしの寂しい思い、と見るのは、私だけであろうか。



日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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