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新日本すし紀行

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第13回 勢揃い、半田のすしの三種盛り

勢揃い、半田のすしの三種盛り

 「箱ずし」とは箱の中にすしご飯を入れ、上に具を置いて押しをかけ、後に抜き出して手ごろな大きさに切る、という形態を指す。だが東海地方の箱ずしは、それに加えて押す箱にも特徴があり、すしを詰めた箱を何段にも積み重ね、まとめてくさびを打つような形をしている。モノの本によってはこういう道具を「ヤジメ」というそうだが、そう呼んでいる地方を私は知らない。

 私事で恐縮だが、私が書いた修士論文のテーマが「東海地方の箱ずし」の分布であった。思えば私のすし研究の端緒はここにある。あの頃は若かったから、愛知県、岐阜県美濃地方、三重県伊勢地方のほぼすべての市町村を車で回り、箱ずしがあるのかないのかを聞いた。今は、そんな元気はまったくないが…。

 そこでわかったのは、同じ東海地方の箱ずしといっても、土地によって具に相違が認められるということだ。愛知県と岐阜県美濃地方では野菜の煮たものを使うが、その中でも尾張地方と西美濃地方では魚のハエ(小ブナ)も用いる、などの差である。三河湾岸ではアサリ、伊勢湾岸ではしぐれ(貝の佃煮)、東美濃地方ではヘボ(ハチノコ)というローカル色豊かな素材も見られた。知多半島ではアナゴである。

 知多地方の半田市はミツカンが本社を置くところ。そのホームページに掲載する原稿を書くくらいだから、さぞや半田の箱ずしなど食べ飽きているだろう、と思われるかもしれない。たしかに私は「知多半島にはアナゴのすしがある」ということは知っていた。しかし実物を食べたことはない。

 というわけで、今回初めて、半田市の箱ずしを食べに行くことにした。

半田の押しずしの道具

 うかがったところは、半田市成岩の神戸公民館。「へぇ、ナリイワの…」といおうとしたら、「それでナラワと読むんですよ」と教えて下さったのは澤田恵子さん。「子ども食堂 サンクテーブル」という会の代表を務める人である。サンクは、サンキューのサンクと地区の名「三区」をかけたことばである。今日のすし作りのために、成岩の正村日登美さんと小川彰子さんをお呼びいただいた。とくに正村さんは「すし上手」と周囲に信頼される人である。またそれに加えて、江上瑞子さんと間瀬桂子さんも駆けつけてくださった。「せっかくだもの、成岩のおすしだけじゃなくって、亀崎のおすしも食べてもらわなきゃ」。そう、江上さんと間瀬さんは同じ半田市でも、成岩地区よりも北にある亀崎地区の方である。「狭い地区だ、そんなに違いはないだろう」と思っていたのだが、ふたつの地区には歴然とした違いがあるらしい。

 「成岩は農村だけど、亀崎は『お旦那衆』の町。海運なんかで蔵もたくさんある町」と正村さんがいえば、「亀崎のすしは具がひとつのこともあるけれど、成岩のおすしは色とりどりで、きれいじゃないの」と江上さん。地区の違いはこのようにあらわれる。そんなことをいいあいながらも、カマボコ、チクワ、タケノコ、シイタケ、アサリ、エビなど、今日作るすしの具材がどんどん煮上がり、最後にカンピョウを煮る。別鍋ではアナゴも煮られる。澤田さんはサケ缶でそぼろを作っている。「カニ缶なんかがあると、最高に贅沢になるわ」だそうである。

すしの具材すしの具材すし飯

 ここらでは箱ずしを「押しずし」と呼ぶ。「今日は押しずしと巻きずしと稲荷ずしを作るわよ」と正村さんがいうと、他の皆さんはすでにすしご飯に酢を当てて、うちわで仰いでいる。すばらしいチームワークである。ちなみにすしご飯の合わせ酢の割合は、酢が200㏄に対し、砂糖が300㏄、塩をひと握り。だけども作る方は「目分量だけどね」と舌を出す。

 稲荷ずしは江上さんの担当だ。油揚げの袋にご飯を入れながら、「ご飯は詰めすぎてもいけないのよ。ふわっとさせなきゃね」。たまに袋を裏向きにする。「こうすると味も見た目にも変化がつくでしょ?」。おしゃれなすしだ。巻きずし担当は小川さんと間瀬さんである。ここでも「成岩では…」とか「亀崎では…」とかいって、地区自慢、というか「地区争い」が始まる。

 「ここらは地区ごとに争うのが習慣みたいね」と正村さん。これらのすしは祭り時によく作られるが、神社の境内では男たちが地区ごとに手料理を持ち寄り、宴会を始める。そのときに「うちの料理はよそには負けん!」「わしのところの料理が一番!」などということばが飛び交う。だからその料理を作る女の人にも「地区対抗」のような気骨が育つ。

 そんなところに稲荷ずしを詰め終わった江上さんが「参戦」して、地区自慢がワイワイ。常滑ではアカシャエビをそぼろにして具にする、春には東海(市)のフキもいい、海苔はどこどこのが厚くておいしい、など、話題は時には半田市外にも伸びて、さらに盛んになる。

 巻きずしの芯は先ほど煮つけたもので、特に決まってはいない。でも「やっぱりメジロがなきゃ」と誰かがいう。「メジロ?」と聞くと、「アナゴのことね」と教えてくれる。アナゴの知多方言がメジロである。でも「メジロっていうと、あまり大きいのはいわないみたいね」だという。とにかくこうしてアナゴ、いやメジロの入った太巻きずしができあがる。

 さて、いよいよ押しずしである。箱の中にすしご飯を詰め、上に並べる具は、巻きずしと同じで決まってはいない。正村さんは卵焼きを取り、白いすしご飯の上に、斜めに置いた。続いてシイタケを卵焼きの下に埋め込むように置くと、タケノコ、チクワ、アサリなど、次々と斜めに。こうすると切った時に、いろいろな具の組み合わせになるようにである。

 この作業。簡単そうに見えて、実はそうでもない。色合いがとくに難しい。ともすれば全体が茶色っぽくなってしまいがちだが、正村さんは卵焼きをうまく使って、華やかに。さらにエビソボロやキヌサヤでピンクや緑色も添え、色鮮やかに仕上げた。さすが、すし上手な正村さんである。

 「亀崎流のも作るわよ」と出てきたのは江上さん。ご飯はたっぷりと盛り、具はアサリ煮ひとつ。押し箱の上には目一杯のアサリが並ぶ。メジロだけを乗せるバージョンもあるという。このように一種類だけですしを作る伝統は、成岩にはない。

稲荷ずし巻きずし巻きずし

押しずし亀崎流押しずし押しずし

 押しずしは本来、最低半日は押すものだが、今日は略式。数時間、押しをかける。その間に稲荷ずしと巻きずしを、伊勢春慶という塗りのキリダメに詰める。昔はこれにすしをはじめいろいろな料理を入れ、神社へ持って行って宴会のアテとした。今日はそんな料理もないが、江上さんが「串アサリ(アサリの串刺し)」を持ってきて、天ぷらを作ってくださった。非常に大粒のアサリで、小川さんが「これにはワインが合うわ」としみじみ。私は日本酒が欲しくなった。

 さぁ、押しずしを切るときが来た。箱から抜き出して、敷葉を取る。おぉ、なんと美し〜い! 皆さんが作ったものはいうまでもないが、同時に作った私の知人(もちろん素人)の手になるものでも綺麗なできばえ。これを切るのだが、「亀崎では8切れに、成岩では12切れに」だそう。う〜ん、ここにも地域差があったか。

 最後にこの押しずしもキリダメに詰めると、もう圧巻である。写真を撮るのも早々に、私はまず巻きずしに手を伸ばした。ほんのりと海苔の香りが芳しいが、メジロの風味がしっかりと効いている。続いて稲荷ずし。甘みが強くて、私には懐かしい味だ。最後に食べたのが押しずしである。そぼろの甘み、キヌサヤのシャキシャキ感、そして肉厚のシイタケのいい香り。何十年も食べられなかった味が、一気に私の口の中に広がった。口福感とは、まさにこのことである。

 「あなた、今度は春祭りに来るべきよ」と間瀬さん。「お酒も飲めるわよ」。

 そう、臨時で作ってもらった今日のすしでさえこんなに楽しくて、おいしいのだ、地元の春祭りだったらもっと楽しいはずだ。でも、春祭りの日には、このすし、市販しているのかしら。今日お集まりの皆さんに聞いたところ、「家庭のおすしだもの、売ってはいないでしょうね」とのこと。お酒はともかく、すしを食べるには、誰かの家に招待されないといけないのだ。

 2023年11月にも、「半田ですし食べりん」とキャンペーンを打っていた半田市観光協会。観光客には強い味方である。しかし、まさかそこでは、祭りの日に、見ず知らずの中年男(私)を招待してくれる家は、紹介してくれんだろうなぁ…。

伊勢春慶のキリダメアサリの串揚げ押しずし

押しずし半田のすしの三種盛り半田のすし

サンクテーブルさん



日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授
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