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(13)すしの日って?

11月1日は「全国すしの日」。この頃には新米が収穫される上、魚にもしっかり脂が乗って、1年で最も美味しいすしが食べられる時期だからで、昭和36年(1961)、全国すし商生活衛生同業組合連合会が制定した。 しかし、この日は別の理由で、すしと縁のある日でもある。その説明のために、皆さんを平安時代の旅にお連れしよう。

「祇園精舎の鐘の声…」で知られる平家物語。平家一門の栄華と没落を描いた、平安期の軍記物語の最高峰(成立は鎌倉時代)である。中に出てくる平清盛の嫡孫・維盛は、「光源氏の再来」とまで称された絶世の美男子として描かれている。一ノ谷の戦いに敗れ、最後は熊野で入水を遂げるのであるが、その美しさゆえに世の女性たちの人気は高く、江戸時代には浄瑠璃や歌舞伎の題材にも取り上げられた。
熊野での入水も「あれは見せかけで、その後は紀伊山中を逃げ回って源氏の討伐を狙っていた」のだそうで、とくに『義経千本桜』が作成されると、すし屋となった維盛が盛んに演じられるようになる。劇中、すし屋の娘・お里と恋仲になり、維盛は「すし屋・弥助」と名を変えた。その改名の日が11月1日であった、という。まぁ、伝説に想像を重ねた話で信憑性には乏しいが、とりあえずこの日がすしの日である由縁でもある。 そういえば、「弥助」ってすし屋が多いなぁ、と思った方もおられよう。そう、弥助とは平維盛のこと。絶世の美男子にちなんで、かどうかは知らぬが、すし屋の屋号には多い名前である。

さて、史実としては怪しいすし屋になった平維盛であるが、驚くことに、奈良県吉野地方にはゆかりの地がたくさん残っている。下市町でアユずしを出すすし屋は、その名も「弥助」。しかも数十年前までは、今のような酢を使った早ずしタイプのすしではなく、アユの発酵ずしを作っており、「つるべずし」と名付けていた。
「つるべずし」の「つるべ」とは「つるべ桶」のこと。それに似た桶の中でアユを発酵させてすしにしたものが、江戸時代には、将軍家や天皇家の御用であった。こちらは実話である。


3代・歌川豊国画『義経千本桜 すし屋の段』

つるべずしを商う店先で仲むつまじく会話をしているお里と弥助の前に、姿をあらわす権太。実は弥助が平維盛であると知り、彼を探している梶原景時の手に渡そうという魂胆だ。


奈良県下市町、「弥助」の外観


つるべずしの桶(明治年間)


つるべずしの桶を押す(復元)


日比野 光敏(ひびの てるとし)
1960年岐阜県大垣市に生まれる。名古屋大学文学部卒業、名古屋大学大学院文学研究科修了後、岐阜市歴史博物館学芸員、名古屋経済大学短期大学部教授、京都府立大学和食文化研究センター特任教授を歴任。すしミュージアム(静岡市)名誉館長、愛知淑徳大学教授

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