facebook line

すしの歴史(5) 華屋与兵衛の流れを汲む銘店

「吉野鮨(吉野鮨本店)」

握りずしを大成した初代華屋与兵衛が興した両国の「与兵衛鮓」は、その後も順調に繁盛しました。 たくさんの弟子がいて、のれん分けをしてもらったお店もあったのでしょうが、四代目の小泉喜太郎の頃、今につながる銘店が登場します。
その名は「吉野鮨」。1879年の創業だそうです。

初代の吉野政吉は小泉喜太郎の兄弟弟子で、ともに「与兵衛鮓」の三代目の教えを請うた人物でした。 ちなみに喜太郎の弟が、のちに俳諧の世界で名をはせる小泉清三郎(迂外)で、『家庭 鮓のつけかた』の作者でもあります。

政吉の孫が曻雄。すしの研究家として有名ですが、年輩の方にはドラマ「事件記者」などに出演していた俳優さんとしておなじみでしょう。

「吉野鮨(吉野鮨本店)」は、新しい技と昔ながらの技法を織り交ぜながら、今でも日本橋で営業を続けています。
今の東京ではめずらしい「合わせ酢に砂糖は入れないこと」を守り抜いているお店です。

「㐂寿司」

「与兵衛鮓」の小泉喜太郎の弟子筋に当たったのが油井㐂太郎。
明治の終わり頃、柳橋で「㐂寿司」という店を開きますが、1923年、人形町にも店を出し、現在ではこちらの店だけが「与兵衛鮓」の味を、今に受け継いでいます。


むろん、合わせ酢には砂糖は入っていません。
屋根の上には「御膳㐂寿司」と書かれた看板。すしが大切な食べ物であることを物語っています。

系譜

日本古来の「発酵ずし」と、最古のすし屋「つるべすし 弥助」江戸の握りずし文化と華屋与兵衛握りずし文化を支えた半田の赤酢と中野又左衛門各種すしの歴史華屋与兵衛の流れを汲む銘店戦後のすしすしの歴史TOP
Copyright(c) 2020 Mizkan Holdings Co.,Ltd. All Right Reserved.
mizkan
PAGE TOP