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そのとき、ミツカンマークが生まれた

商標登録とともにおこなった大イベントとは?

家紋から生まれた三に○の商標

幕末の動乱期もさしたる波乱なく乗り越え、明治に入っても酢の事業は順調に伸びていました。そんな折り、西欧にならった商標条例が明治17年(1884)に日本で初めて公布されます。商標を自社の独占にするためには、商標登録所に出願し、許可を得なければならなくなったのです。
又左衛門家が商標としていた丸勘は、当時、他の多くの酢屋も使用していました。四代又左衛門は当然この丸勘の商標登録を願い出ますが、なんと三日の遅れで名古屋の酢屋に先を越されてしまいます。
又左衛門は屋敷にこもり、新たな商標づくりに取り組みます。そして考えに考えた結果、ひらめいたのが、(三ッ環)の商標だったのです。又左衛門家の家紋は三。三文字の下に○をつけたのは「天下一円にあまねし」という易学上の理念を表します。この商標は、明治20年5月26日、無事登録を完了。ここに現在まで愛されるミツカンマークが誕生したというわけです。

明治21年(1888年)の新聞広告

東京の人たちの度肝を抜いた大イベント

さて、この商標登録については、もう一つエピソードが残されています。それは四代又左衛門が行った、大々的な商標披露イベントです。なんと彼は、当時熱狂的な人気を集めていた歌舞伎の芝居小屋を一日借り切り、「東京披露会」として歌舞伎興行をおこなったのです。
招待者は1500人。その人たちすべてに、商標の由来を書いたパンフレットや、商標をあしらったかんざしや徳利、猪口などを配ったといいます。舞台の上には、その頃の大スターである一流の歌舞伎役者が勢揃い。そして客席にお弁当やお茶、お酒などを運ぶ店員たちは、ミツカンの商標を染め抜いたハッピや半纏をさっそうと羽織っていました。
明治時代にはとても考えられなかったほどの大規模な披露イベント。訪れた人たちの目には、ミツカンの商標が、くっきりと焼き付いたことでしょう。

当時の新富座を描いた「新富座本普請落成初興行看客群集図

新しい商標「ミツカン印」を広めるための明治21年(1888)の暦