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明治時代に入り氷冷蔵庫が出現し、寿司に使えるネタの種類も増えることで嗜好の変化が起こりました。その結果、江戸前にぎり寿司は、ますます庶民の間に広がっていきました。また、大正時代には、関東大震災の影響で東京の寿司職人が全国に移り住んだこともお寿司の広がりの一助となりました。

明治十七年の商標条例の交付を受けて、明治二十年に四代目中埜又左衛門は、中埜家の家紋である「○に算木」を、「天下一円にあまねし」という易学上の考え方を元に手を加え、現在のミツカンマークを考案し、商標登録をおこないました。
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太平洋戦争終結後においても、終戦で各地に移り住んだ寿司職人が寿司屋を開業したり、握り寿司屋だけが統制下で営業を許可された背景から、江戸前寿司は全国へ普及しました。 食糧難の当時、特に貴重な白米はその色からも「銀シャリ」と呼ばれていました。酒粕酢を使用したすし飯はシャリに色がつくため、お客様から「古古米」「外米」として誤解される傾向があり、寿司店からシャリに色がつかないお酢の要望が高まりました。
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「銀シャリ」のニーズを実現するために、当時、関西市場で主流だった米酢だけを使って、余計な色のついてないシャリを実現するのではなく、江戸前にぎり寿司の誕生、および発展の歴史をともにし、創業から脈々と受け継がれるミツカンの伝統ある技術を活かした「酒粕酢」の風味とコクを活かす挑戦をしつづけました。

米酢のまろやかさに、ミツカン伝統の酒粕のコクと風味を生かす配合の研究を重ねた結果、酒粕を隠し味に使用した米酢「白菊」が誕生しました。
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酒粕酢の風味はそのままに、シャリに色がつく度合を軽くする為に、醸造・発酵の研究や工夫を重ねた結果、「特醸優選」が誕生しました。三ッ判山吹の良さを残した酒粕酢です。
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